源氏物語~薄雲・玉鬘~




薄雲~雪・霰がちに心細さまさりて~

【冒頭部】
雪・霰がちに心細さまさりて・・・・・・

【現代語訳】
雪や霰の降る日が多く、心細い思いが増して、(明石の君は)「不思議にあれこれと物思いをしなければならないように生まれついたわが身であるよ」と、ため息をついて、いつもよりもこの姫君をかわいがってとりつくろったりしていた。雪が空を暗くするほど降り積もる(ある日の)朝、過去や未来のことを残らず思い続けて、いつもは特に端近な所に出ていることなどもしないのに、(けさは)水ぎわの氷などを見やって、白い着物のやわらかなのを何枚も重ねて着て、ぼんやり眺めている容姿、頭のかっこう、うしろ姿など、「この上もなく高い身分の人と申してもこのようでいらっしゃるだろう」と(おそばに仕える)人々も思う。(明石の君は)落ちる涙をかきはらって、「(この先)もし、このような(雪の降る)日には、今にもまして、どんなにか頼りない気持ちがすることだろう。」と、かわいらしい様子でため息をついて、
  雪が深いので、(ここに来る)奥山の道は晴れることがなくわからなくても、(別れたあとも)やはり雪道を踏み分けてかよってください、足跡をたやさないで。-絶えず手紙をよこしてくださいね。
とおっしゃると、乳母は泣いて、
  雪の晴れ間のない吉野の山の中を探し求めてでも、私の心がかよって行く跡の絶えることがありましょうか、絶えることはありません。
と言って(明石の君を)慰める。

【語 句】
雪・霰がちに・・・雪や霰が降りがちで。
あやしく・・・妙に。不思議なほど。
なでつくろひつつ・・・髪をなでて見苦しくないようにとりつくろいながら。
かきくらし・・・空を一面に暗くして。雪がひどく降っているさま。
端近なる出で居・・・戸外に近い部屋のはしに出てすわること。「端」は部屋の中で外に近い部分をいう。
汀・・・ここは庭の池の水ぎわをいう。
あまた・・・たくさん。
ながめゐたる様体・・・ぼんやり物想いに沈んでいる姿。
後ろで・・・「後ろ手」で、うしろのほう。うしろ姿。「手」は方向、方面の意。
限りなき人・・・最高の人。身分の高い婦人。皇后や皇女のような人をさす。
人々・・・明石の君の所で仕えている侍女たち。
まして・・・今より以上に。
おぼつかなし・・・頼りない、不安なさま。
らうたげに・・・かわいらしげに。
雪深み・・・雪が深いために。
深山の道は晴れずとも・・・奥山の道は雪が晴れずわからなくても。「深山」は、ここでは明石の君の住む大井の里をさす。
ふみかよへ・・・「ふみ」に「踏み」と「文」とを掛ける。別れたあとも、雪道を踏みかよって、手紙をよこして下さい。
跡たえずして・・・足跡をたやさないで。音信不通にならずに絶えず。
雪間なき・・・雪の晴れ間のない。
吉野の山・・・吉野山は深山で雲の晴れ間もないと考えられていたのである。
心のかよふ跡・・・音信、消息の意。





薄雲~この雪すこしとけて渡りたまへり~

【冒頭部】
この雪すこしとけて渡りたまへり・・・・・・

【現代語訳】
この雪が少しとけてから(源氏は大井の里に)おいでになった。いつもは(源氏のおいでを)お待ち申しあげるのに、(きょうは)「あの用事(=姫君のお迎え)だろう」と思われることのために胸がどきっとして、人のせいではなく(自分で招いたことだと)思われる。「(姫君を手放すか手放さないかは)自分の心次第であろう。(私が)おことわり申すならば、それをむりにもお連れになるであろうか(お連れにはなるまい)、つまらないこと
をしてしまった」と思われるけれども、「(いまさらおことわりするのも)軽率なようだ」と、しいて思いなおす。(源氏は姫君が)たいそうかわいらしい様子で前にすわっていらっしゃるのをご覧になると、「いいかげんには考えられなかったこの人の宿世だなあ」とお思いになる。この春からからのばしている(姫君の)お髪が尼の切りさげ髪ほどの長さで、ゆらゆらと揺れて美しく、頬の様子や目もとのつやつやしているところなど、いまさらいうまでもない。(この姫君を)他人のものとして思いやるようになるときの(明石の君の)心の乱れをご推察なさると、ほうとうに気の毒なので、(源氏は)くり返し説き明かしなさる。(明石の君は)「いえ、かまいません。せめて、私のように口惜しい身分でないようにお育てくださいますならば。」と申し上げるものの、(悲しさを)こらえきれずに泣く様子はしみじみといたわしい。

【語 句】
この雪すこしとけて・・・一日二日たって雪が少し消え始めたころ。なお、同じ日で雪がやんだ日中と解する説もある。
渡りたまヘリ・・・主語は源氏。「渡る」は、行く、または来る意。
さならむ・・・そうであろう。「さ」は姫君を連れてゆくことをさす。
人やりならずおぼゆ・・・人がさせるのでなく、自分の心からすることだと思う。
わが心にこそあらめ・・・姫君を渡すか渡さないかは自分の心ひとつであろう。
いなび聞こえむをしひてやは・・・辞退申し上げるとしたら、それをむりにもお移しなさるであろうか。いやお移しなさらないであろう。「いなぶ」はことわる意。
あぢきな・・・「あぢきなし」はおもしろくない、つまらない意。「おことわりしないでつまらないことしたなあ」と後悔する気持ち。
軽々しきやうなり・・・軽薄なようだ。軽率のようだ。
せめて・・・しいて。むりに。
うつくしげにて・・・かわいらしいありさまで。
ゐたまへる・・・「ゐる」は座る意。
おろかには・・・いいかげんには。
人の宿世かな・・・「人の宿世」でひと続きの語。「宿世」は前世からの因縁。運命。
生ほす・・・はえさせる。成長させる。
尼そぎのほどにて・・・尼の髪の毛ほどの長さで。田路の尼は肩のあたりで髪を切りそろえていた。「そぐ」は髪を切る意。
つらつき・・・頬のあたりの様子。「つら」は頬。
まみ・・・目もと、目つき。
かをれるほど・・・つやつやと美しい様子。「かをる」は①よいかおりがする、②顔や目もとが美しく見える意があり、ここは②.視覚的な美しさをいう。
いへばさらなり・・・いうまでもない。もちろんだ。「いふもさらなり」に同じ。
心の闇・・・親が子を思うための心の乱れ。分別もつかなくなった心。
うちかへし・・・くり返して。何度も。
のたまひ明かす・・・ご説明になる。「明かす」を夜を明かす意にとり、一夜語り明かしなさると解する説もある。
何か・・・いえ、どうぞご心配なく。
口惜しき・・・卑しい、つまらない意。せめて・・・だけでも。
もてなしたまはば・・・お取り扱い下さるならば(ありがたく存じます)。
念じあへず・・・がまんできずに。





薄雲~姫君は何心もなく~

【冒頭部】
姫君は何心もなく、御車に乗らむことを・・・・・・

【現代語訳】
姫君は無邪気に、お車に乗ることをお急ぎになる。(お車を)寄せてある所に、母君が自身で(姫君を)抱いてお出になった。(姫君が)片言で、声はたいそうかわいらしくて、(母君の)袖をとらえて、「お乗りなさい。」と引くのも、非常に悲しく思われて、(明石の君が)
  生い先の遠い二葉の松(のような姫君に)別れて、いつになったら、木高い松(のように成人した姫君の姿)を見ることができるでしょうか。
と、終わりまで言いきれず、はげしく泣くので、(源氏は)「もっともであるよ、ああ気の毒なことだ」とお思いになって、
  (私たち二人の間に姫君が)生まれてきた因縁も深いのだから、あの武隈の二本の松のような私たちに、この小松のような姫君の長い将来を並べて一緒に暮らすようにしよう。気長にね(その時をお待ちなさい)。」
と、お慰めになる。(明石の君は)「そうなることだ」と気持ちを静めようとはするが、どうにもこらえられなかった。乳母と、少将といって気品のある女房だけが、守り刀や人形のようなものを持って(お車に)乗る。お供の車に(容姿の)わるくはない若い女房や女童などを乗せて、お見送りに参上させる。
(源氏は)帰りの道で、あとに残った人(=明石の君)のつらさを(察して)「どんなにか罪を作っていることだろう」とお思いになる。暗くなってからご到着になって、お車を寄せるとすぐ、(二条院は)はなやかで雰囲気が違っているので、田舎じみている(女房たちの)気持ちには、「きまり悪い思いでおつきあいするのであろうか」と思ったが、西向きの部屋を格別に設備させなさって、小さなお道具類をかわいらしくそろえさせていらっしゃった。乳母の部屋には、西の渡殿の、北側に当たっている所を割り当てさせなさった。姫君は途中で眠ってしまいなさっていた。(車から)抱きおろされても、泣いたりなどはなさらないで、こちら(紫の上の部屋)でお菓子をさしあげたりなどなさるが、だんだんあたりを見回して、母君が見あたらないのをさがして、かわいらしい様子で泣き顔をなさるので、乳母を(局から)お呼び出しになって(姫君を)慰め、気をまぎらわし申しあげなさる。

【語 句】
何心もなく・・・無心に。無邪気に。なんの警戒もなく。
片言・・・幼児の不完全な言葉。
うつくしうて・・・かわいらしくて。
いみじうおぼえて・・・非常に悲しく思われて。
末遠き二葉の松・・・行く末の遠い幼い松。「二葉の松」は芽を出したばかりの松で幼い姫君をたとえる。
ひきわかれ・・・「ひき」は松の縁語。正月の子の日に小松を引いて長寿を祈った当時の行事による。
小高きかげ・・・高く成長した松の姿。「影」は姿、形の意。成人した姫君をたとえる。
言ひやる・・・終わりまで言い続ける意。
さりや・・・その通りであるよ。泣くのももっともであるよ。
生ひそめし根も深ければ・・・姫君が二人の間に生まれてきた因縁も深いのであるから。「根」は根源、前世からの宿縁の意。
武隈の松・・・陸前の武隈(今の宮城県名坂郡岩沼町付近)にあった松。双生の松(同じ根元から幹が二本はえた松)として名高く、歌に多く詠まれている。ここは源氏と明石の君とをたとえる。
小松の千代をならべむ・・・小松の末長い将来を並べよう。長い将来のある姫君とともに住むようにしよう。「小松」に姫君をたとえる。「千代」は長い年月。
のどかにを・・・ゆったりとね。のんびりとね。
さること・・・そうなること。いつかまた一緒に住むこと。
えなむ堪へざりける・・・がまんできなかった。思い静められなかった。
あてやかなる・・・上品な。優雅な。
御佩刀・・・姫君の守り刀。源氏が贈ったもの。
天児・・・お守りとして、幼児の身近に置いた人形。線を入れ練り絹で包んだ縫いぐるみの人形。悪いことはすべてこの人形に移して幼児から災難を除こうとした一種のまじないであると同時におもちゃでもあった。三歳まで用いたという。
人だまひ・・・お供の人の乗る車。主人から従者用に貸す車。副車。
よろしき若人・童・・・容姿の悪くない若い女房や召使いの少女。「童」とは男女ともにいうが、ここは少女。女(めの)童(わらわ)という。
道すがら・・・途中。みちみち。
とまりつる人・・・大井にとどまった人。明石の上をさす。
はなやかにけはひ異なるを・・・二条院ははでで美しく、大井邸とは様子が違っているので。
はしたなくて・・・きまりの悪い状態で。間がわるい気持ちで。
西面・・・西向きの部屋。
しつらはせたまひて・・・飾りつけさせなさって。設備させなさって。
御調度・・・日常使う身のまわりの道具。
局・・・宮殿などの中で、長い建物を仕切って隔ててある部屋。主として女性用。
渡殿・・・建物と建物をつなぐ廊下。屋根のある渡り廊下。
こなた・・・紫の上のところ。
御くだもの・・・草木の実だけでなく、餅の類をもふくめた間食。
やうやう・・・しだいに。
らうたげに・・・かわいらしい様子で。
うちひそみたまへば・・・顔をしかめてべそをかきなさるので。





玉鬘~歩むともなく、とかくつくろひたれど~

【冒頭部】
歩むともなく、とかくつくろひたれど、足も動かれず、・・・・・・

【現代語訳】
歩くという程度でもなく(そろそろと進み)、あれこれと手当てしたけれども、(今では)足も動かすことができず、つらいので、しかたなくて(椿市に)お休みになる。(姫君の一行は)この頼りにしている豊後の介、弓矢などを持った者二人、そのほかに下部の男や童などが三、四人、女たちはただ全部で三人で(みな)壺装束をして、(そのほかに)ひすましのような者と、年をとった下女二人ほどがいる。たいそうひっそりと人目につかないようにしている。(仏前にそなえる)お燈明のことを、ここ椿市で追加して準備するうちに、日が暮れてしまった。この家の主人の法師が(帰って)来て、「ほかの人をお泊め申そうとしているところに、どういう人がおいでになるのだ。けしからぬ女どもが、勝手なことをして。」と文句を言うのを、(姫君一行が)心外に聞いているうちに、なるほど(法師が言ったとおり)人々がやって来た。この人々も徒歩であるようだ。相当な身分の女が二人で、召使いたちは男女たくさんいるようだ。馬を四、五匹引かせて、ひどく人目を忍び、身なりも粗末にしているけれども、こぎれいな男たちなどもいる。(この宿の主人の)法師は、(この一行を)どうしてもここに泊めたくて、頭をかき続けている。(法師には)気の毒だけれども、ほかに宿を変えるのも体裁が悪く、やっかいなので、(供の)人々は奥にはいったり、ほかの部屋に身を隠したりなどして、残りの者は(部屋の)片すみに寄った。(姫君は)幕などをひいて隔てとして(新客と同じ部屋に)おいでになる。このあとから来た人も気を使うほどでもない。たいそうひっそりして、お互いに気がねしている。だが実は(この新客こそ)、あの、つねに(姫君を)恋い慕って泣いている右近なのであった。年月がたつにつれて、中途半端な奉公が似つかわしくなく、(将来の)わが身を案じて、このお寺(=長谷寺)にたびたびお参りするのだった。

【語 句】
歩むともなく・・・歩くともいえないくらいにして。
とかくつくろひたれど・・・いろいろ治療したけれども。「つくろふ」は、治療する。
わびしければ・・・苦しいので。つらいので。
せむ方なくて・・・しょうがなくて。
さては・・・それから。またそのほかに。
むつかる・・・こごとを言う。立腹する。
めざましく聞くほどに・・・不快に思って聞くうちに。
せめて・・・しいて。むりに。
さまあしく・・・見苦しく。みっともなく。
かたへは・・・いくらかは。一部の者は。「かたへ」は一部分の意。
片つ方・・・一方。片がわ。
かいひそめて・・・ひっそりと静まって。
かたみ・・・互いに。
さるは・・・ところが。そうではあるものの。
世とともに・・・つねづね。いつも。
つきなく・・・ふさわしくなく。





玉鬘~例ならひにければ、かやすく構へたれど~

【冒頭部】
例ならひにければ、かやすく構へたれど、・・・・・・

【現代語訳】
(初瀬参詣は)いつもの習慣になっていたので、(右近は)身軽に支度していたけれども、徒歩はこらえきれなくて、物に寄りかかりうつぶしていると、この豊後の介が、隣の軟障のところに近寄って来て、召しあがり物なのであろう、折敷を自分の手で持って、「これは姫君にさしあげて下さい。お膳などもそろわないで、まことに恐縮です。」などと言うのを聞くと、「(そのお方は)自分ら並みの人ではあるまい」と思って、軟障の隙間からのぞくと、この男の顔は以前見た気がする。(しかし)だれであるとは思い出せない。(豊後の介が)ずっと若かったころを見ていたのに、(今は)太って色が黒くみすぼらしい様子なので、(会わずに)長年すごした目には、急には見わけられなかったのであった。(豊後の介が)「三条、こちらがお呼びです。」と呼び寄せる女を見ると、これもまた見たことのある人であった。「亡きおん坊(=夕顔)に、下女であるが、長らくお仕えしつけて、あの(夕顔が)身を隠していらっしゃった(五条の)お住まいまで付いて来ていた者だった」と気づいて、(右近は)なんとも夢のような思いである。主人と思われる人(=姫君)は、ぜひ見たいけれども、(右近のほうから)見えるようには姿勢をとっていない。思いあまって、「この女(=三条)に尋ねてみよう。(昔)兵藤太といっていた人もここにいるであろう。姫君がいらっしゃるのではないかしら」と思いつくと、ひどくじれったくて、この間仕切りのもとにいる三条を(召使いに命じて)呼ばせるけれども、(三条は)食べ物に気をとられて、すぐには出てこない。ほんとに憎らしく思われるのも、身勝手であることよ。

【語 句】
かやすく・・・たやすく。身軽に。
かち歩み・・・徒歩。
物のはざま・・・物のすきま。
やつれたれば・・・身なりがみすぼらしくなっているので。
ふとしも・・・すぐには。ちょっとは。
見なして・・・見て気がついて。心得て。
ゆかしけれど・・・見たいけれど。
思ひわびて・・・思い悩んで。
心もとなくて・・・じっとしていられないで。じれったく待ち遠しくて。
この中隔てなる・・・この間を隔てている軟障のもとにいる。
心を入れて・・・熱心になって。夢中になっていて。
とみにも来ず・・・急には来ない。すぐにはこない。
うちつけなりや・・・だしぬけであるよ。急に変わりすぎて身勝手であるよ。





玉鬘~からうじて、「おぼえずこそはべれ~

【冒頭部】
からうじて、「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に、・・・・・・

【現代語訳】
やっとのことで(食事が終わって出てきた三条は)、「思いもよりません。筑紫の国に、二十年ばかりも過ごしてきた(私のような)卑しい者を、ご存じでいらっしゃるような都のお方なんて。人違いでございましょう。」と言って(右近のそばに)寄ってきた。(三条は)田舎くさい?練の上に衣などを着て、たいそうひどく太ってしまっていたので、(それを見た右近は)自分の年(とったこと)もいっそう思い知らされて恥ずかしいけれども、「もっとのぞいて見なさい。私を知っているか。」と言って、顔をさし出した。この女(=三条)は(右近だと)気がついて手を打って、「あなた様でいらっしゃったのね。まあ、うれしいこと、うれしいこと。どちらからおいでですの。上(=夕顔)はいらっしゃいますか。」と、たいそう大げさに(声をあげて)まず泣き出す。(この三条を)若い下女として見なれていた時代を思い出すと、(これまで)隔ててきた年月を数えずにはいられなくて、ほんとにこの上もなく感慨深い。(右近は)「何はともあれ、乳母殿はおいでですか。ひめ君はどうおなりになったの。あてきと申した方は。」と言って、女君(=夕顔)のことについては、はかない一生を思うと、張り合いがないと(三条たちが)言いはしないだろうかと思って、口にするのも忌まわしくて言い出さない。(三条は)「みなさまおいでになります。姫君もおとなになっておいでです。まず何よりも、乳母殿にこうこうと申しあげよう。」と言って(奥へ)はいった。

【語 句】
下衆・・・身分の低い者。
田舎びたる・・・田舎じみている。野暮ったい。
あがおもと・・・あなた様。
あな、うれしともうれし・・・ああ、うれしや、うれしや。
おどろおどろしう・・・大げさに。ぎょうぎょうしく。
まづ・・・ともかく。何はともあれ。
かけむもゆゆしくて・・・口に出して言うのも縁起が悪くて
かくなむ聞こえむ・・・これこれと申しあげよう。





玉鬘~みな驚きて、「夢の心地もするかな」~

【冒頭部】
みな驚きて、「夢の心地もするかな。」・・・・・・

【現代語訳】
(話を聞いた乳母たちは)みな驚いて、「夢のような気持ちがすること。」「実にひどい、言いようもないと(恨めしく)お思い申している人(=右近)に、会うことになろうとは。」と言って、この仕切りの幕の所に寄ってきた。(今まで)たいそうよそよそしく(間を)隔てなさっていたあとかたもなく、すっかり屏風めいたものを脇に押しやって、まず、言葉を交わすこともできずに互いに泣き合う。年寄りの乳母は、ただ、「おん方様(=夕顔の君)はどのようにおなりになりましたか。長年の間、夢であっても、おいでになる所を見ようと、(神仏に)大願を立てるけれども、はるか遠い(筑紫の)地なので、風のたよりにもお聞きすることができないのを、非常に悲しいと思うので、年老いたわが身が(この世に)生き残っているのも、たいそう情けないけれど、(私の手もとに)お残し申しなさった姫君が、かわいらしく、お気の毒でいらっしゃるのを、(私が死んだとき)あの世へ行く妨げとして扱いに困り申して、(今なお私は)目をつぶらないでおります。」と言い続けるので、(右近は)昔、あの(夕顔が急死した)折り、なんとも言うかいのなかった気持ちよりも、(今のほうがもっと)答えようがなく困ったことに思うけれども、「いやもう、申しあげてもかいのないことです。おん方様はとっくにお亡くなりになりました。」と言うとすぐに、三人とも涙にむせ返り、なんともやっかいなほど、涙をせきとめかねている。
「日が暮れてしまう」とやかましく騒ぎ立てて、お燈明のことなどをすっかりととのえて、(従者たちが出発を)急がせるので、ひどく気ぜわしい状態で別れる。(そのとき右近は)「ご一緒にいかがですか。」と言うけれども、お互いに供の者が変だと思うに違いないから(乳母は辞退し、)この豊後の介にさえ事情を知らせることができず、自分も相手も互いに、格別気がねすることもなくて、みな(この宿から)外へ出た。右近は、人にわからないように注意して見ると、一行の中に美しい後ろ姿が、非常に簡略な身なりをしていて、四月(の衣替えのころ)に着るのし単衣めいた物を着て、その下に着込めていらっしゃる髪の透けて見える様子は、まことに惜しいほど立派に見えるが、それを(右近は)いたましいほど悲しいと思って拝見する。

【語 句】
け遠く・・・「け遠し」は、①遠く離れている、②親しみのない、うとうとしい。ここは②。
名残なく・・・跡かたなく。残る所なく。
いかがなりたまひにし・・・どうなられましたか。
ここら・・・たくさん。多数。
はるかなる世界にて・・・都から遠く離れた土地であるので。
いみじう悲しと思ふに・・・ひどく悲しいと思うので。
心憂けれど・・・つらいけれど。情けないけれど。
らうたく・・・愛らしく。いとしく。
またたきはべる・・・「またたく」は、①まばたきする、②生きている、③燈火がちらちらする。ここは②。
いらへむ方なく・・・答えようがなく。
煩はしく・・・気がつまるように。困ったことに。やっかいに。
いでや・・・いやまあ。
言ふままに・・・言うやいなや。言うとすぐに。
日暮れぬ・・・日が暮れてしまいそうだ。
騒ぎ立ちて・・・やかましく言って。
したため果てて・・・用意し終わって。
かたみに・・・お互いに。
やつれて・・・身なりが簡素で。
あたらしく・・・惜しく。もったいなく。









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