十訓抄

【十訓抄】
1252年、六波羅二﨟左衛門入道の編とされるが正確には不明。全三巻。十箇条の項目をあげ、その教訓にある故事逸話を例としてあげる形をとっている。




大江山いく野の道の~和泉式部、保昌が妻にて~

【冒頭部】
和泉式部、保昌が妻にて、丹後へ下りけるほどに

【現代語訳】
和泉式部が(藤原)保昌の妻として、丹後の国に下っていたころ、都で歌合わせがあって、(娘の)小式部の内侍が、その歌人に選ばれて、(歌合わせに出す歌を)詠むことになったが、定頼の中納言がからかって、小式部の内侍がいた所に、「丹後の国へ(使者として)お遣わしになった人は帰ってまいりましたか。どんなに待ち遠しく思っていらっしゃることでしょうね。」と言って、(小式部の内侍の)部屋の前を通り過ぎて行こうとされたところ、(小式部の内侍は)御簾から体半分ぐらい乗り出して、ちょっと(定頼の)直衣の袖を引き留めて、
大江山・・・大江山を越え、生野を通っていく道が遠いので、(母のいる丹後の)天の橋立は踏み渡ってもいませんし、(母からの)文を見ていませんよ。と、歌を詠みかけた。(定頼は、この事態を)思いがけずに、驚いて、「これはどうしたことか。こんなことってあるものか。」とだけ言って、返歌することもできずに、引き留められていた袖を強引に引っぱりとって、逃げてしまわれた。小式部は、この一件から歌人としての名声が世に広まってしまったのであった。
この話は、ごく普通の理にかなったことであるけれども、かの定頼卿の心には、これくらいの(できばえの)歌を、即座に詠み出すにちがいないとは、おわかりにならなかったのであろうか。

【語句】
心もとなし・・・①待ち遠しい。②気掛かりだ。③はっきりしない。ここは①。









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