笈の小文

【笈の小文】
成立年時は1690年晩秋から翌年夏ごろまでの間と推定される。1709年に河合乙州が『笈の小文』の書名で出版して世に知られた。冒頭の風雅論のほか、紀行文論、旅行論などに芭蕉の芸術観をうかがうことのできる重要な作品である。





造化にしたがひ造化にかへれ(第一段落)~百骸九竅の中に物あり~

【冒頭部】
百骸九竅の中に物あり。かりに名付けて風羅坊といふ。

【現代語訳】
(百の骨と九つの穴を持った)人間の肉体の中に、詩的精神がある(=ここに詩心を持った一人の人間、私がいる)。(その人に)仮に名前をつけて「風羅坊」という(ふうに呼んでいる=私の別号は「風羅坊」である)。(そのように名付けたのは)本当に薄衣(うすぎぬ)が風に破れやすい(ように、その人も非常に傷つきやすい人である)ことをいうのであろうか。彼は長い間、俳諧(なんか)が好きで、とうとう俳諧を仕事にしてしまった。ある時はもう(俳諧に)飽きて投げ出すようなことを思い、また、ある時は積極的に人と俳諧の上で競争して勝つようなことを自慢し、(そこで)どちらがいいか、という判断が胸の中で葛藤して、(結局)俳諧のために身が落ちつかない。一時は(武家に奉公して)立身出世するようなことを願うが、(いつも)この俳諧のために邪魔をされて(十分にはできず)、一時仏教を学んで自らの愚を悟り、解脱の境地に入ろうと思うけれども、俳諧のために(それも)だめになり、とうとう実生活にとって有用な能力は何一つ身につかないで、ただこの俳諧一筋につながるのである。

【語句】
はかりごと・・・①計略。②仕事・生業。ここは②。
身安からず・・・身も落ち着かない。





造化にしたがひ造化にかへれ(第二段落)~西行の和歌における~

【冒頭部】
西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における

【現代語訳】
西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵画、利休の茶道(といったすぐれた先人たちのたずさわった道)の根本を貫く精神は一つである。なおその上に俳諧精神は、天地自然・宇宙の運行に随順して、四季の変化を友としている。(だから)見るものはすべて美しいもの(花)でないものはなく、(心に)思うものはすべて美しいもの(月)でないものはない。心に映る像(=心像)が花(=美的)でない時は、その人は(人間、つまり文化人ではなくて)野蛮人と同じである。また、その人の、物を映す心が花(=美)でない時は、その人は(もう人間ではなくて)鳥や獣と同じである。野蛮人の感性、あるいは鳥獣の域を離れて、天地自然に随順し、(さらに、なお)天地自然に帰一せよということである。

【語句】
しかも・・・その上。

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