西鶴諸国ばなし

【西鶴諸国ばなし】
浮世草子。1685年1月、大坂・池田屋三郎右衛門より刊行。5巻5冊。諸国の珍譚奇譚を集め、「人はばけもの世にない物はなし」との感慨を込めた新時代の説話35編よりなる。『酉陽雑俎続集』による巻2の4や、『剪灯新話』(明の瞿佑編)の『牡丹燈記』を翻案した浅井了意の『伽婢子』を受ける巻3の4のような怪異譚のほかに、巻2の2は紀州藩主徳川頼宣の逸話を扱い、巻1の3や巻4の2などは転変たる人間の運命を描いて優れた短編小説となっている。





大晦日はあはぬ算用(巻一 第一段落)~榧、かち栗、神の松~

【冒頭部】
榧、かち栗、神の松、やま草の売り声もせはしく、餅つく宿の隣に

【現代語訳】
榧、かち栗、神の松、お飾り用の裏白などの売り声も忙しく、餅つきをする家の隣に、煤払いもしないし(年の暮れの)二八日まで髭も剃らないで、朱塗りの鞘の反りを返して、「春まで(支払いを)待てと言うのに、どうしても待てないのか。」と、(掛け取りにやってきた)米屋の若手代をにらみつけて、(何事も)まっすぐに道理の通る現代を、無理を通して暮らす男がいる。名まえは原田内助と申し上げて、誰知らない者もない浪人。広い江戸(の市中)にさえ(その無法さが知れわたって)住むことができなくなり、この四、五年は、品川の藤茶屋のあたりに借家して、朝の(炊事に使う)薪にも不足して、夕方ともす灯油もない(ほどの貧乏暮らしである)。これは悲しいことで、その年の暮れに、女房の兄に、半井清庵と申し上げて、神田明神の横町に(住む)医者がいる。この(半井清庵の)宅へ、(金の)無心の手紙を出したところ、たびたびのことで、迷惑なことではあるが、見捨てることもできなくて、金子十両を包んで、その上書きに、「貧乏という病気によく効く薬は、金用丸というお金の薬で、何でもよく効く」と書いて、(内助の)奥方のところへお送りになった。

【語句】
薬師・・・医者。
事欠く・・・物が不足する。





大晦日はあはぬ算用(巻一 第二段落)~内助よろこび~

【冒頭部】
内助よろこび、日ごろ別して語る浪人仲間へ、「酒ひとつ盛らん。」

【現代語訳】
内助は喜んで、平生特別に懇意にしている浪人仲間へ、「酒を一献酌もう」と呼びにやり、幸いに雪の夜の風流な様子なので、今まではくずれ放題にほうってあった柴の戸を開けて、「さあ、こちらへ。」と(案内して)言う。合計七人の客は、だれもかれも(全員)紙子の袖を連ね、季節はずれの一重羽織(を着てはいるが)、どことなく昔(仕官していたころ)を忘れない。(その昔の面影の残っている身なりをして、)ひととおりの挨拶が済んでから、亭主がかしこまって出て(酒宴になり)、「私は、雲のよい援助を受けて、思いどおりの正月をいたします。」と申し上げると、めいめい、「それはあやかりたいものだ(うらやましい)。」と言う。(亭主は)「それについて、(金包みの)上書きに一趣向あるのだ。」と、例の小判を出すと、(客たちは)「なんとまあ、上手な洒落だ。」と、(順々に)見て回すと、(そのうちに)杯の数が重なって、(客たちは)「よい忘年会(であった)。ことのほか長居(をした)。」と、「千秋楽(には民を撫で)」と祝言の謡をうたい出し、(酒宴も果てになり)燗鍋・塩辛壺を手渡して片付けてしまわせ、「小判もまずはおしまい下さい。」と集めると、十両あったうち、一両足りない。一座の人々は、居ずまいを直し、袖などを振るって前後を見るけれども、いよいよ無いに決まった。





大晦日はあはぬ算用(巻一 第三段落)~あるじの申すは、「そのうち~

【冒頭部】
あるじの申すは、「そのうち一両は、さる片へ払ひしに、拙者の覚え違へ。」

【現代語訳】
亭主が申し上げることには、「(十両あった)そのうちの一両は、ある所へ払ったのに、拙者の記憶違い(であった)」と言う。(客たちは)「ちょっと前まで、間違いなく十両見えたのに、不思議なことであるよ。とにもかくにも、それぞれ身の潔白(を示そう)」と、(正客の座る)上座から帯を解くと、その次(の男)も(衣類を)改めた。三人目にいた男は、(困った時にする)渋い顔をして、ものも言わなかったが、膝を立て直して(=居ずまいを正して)、「世間には、このようなつらいこともあるものだなあ。私は(衣服を)振るって(調べて)みるまでもない。金子一両を持ち合わせていることが、身の不運である。思いもよらないことで、一命を捨てることよ」と思い切って申し上げると、一座の人々は口を揃えて、「貴殿だけでなく、(どんなに)落ちぶれた身の上であるからといって、小判一両を持たないというわけのものではない」と申し上げる。(すると、その男は)「いかにも、そのとおり、この金子の出所は、私が長年持っていた後藤徳乗作の小柄を、唐物屋十左衛門方へ一両二歩で昨日売っておりますことは間違いないけれども、(何分にも)時節が悪い。平生懇意にしていた仲として、(私が)自害した後で、お調べくださって、死後に残った汚名を、どうか(晴らしてくれるよう)頼む」と申し上げもきらないで、刀の革柄に手を掛け(て、抜こうとす)る時に、「小判は、ここにある」と丸行灯の陰から、投げて出すので、「それでは(見つかったのか)」と、(一座の)騒動を静めて、「物事は念を入れ(て調べ)るのがよい」と言っている時、台所から、(内助の)内儀が声を出して、「小判は、こちらのほうに来ていました」と、重箱の蓋につけたまま座敷へお出しになった。(だれともなく)「これは、宵のうちに、山芋の煮染めを入れてお出しになったが、その湯気でくっついたのか。そういうこともあるにちがいない。これでは、小判は(ふえて)十一両になったよ」(と言う)。(そこで)だれもかれもが申し上げなさったことには、「この金子が、ひたすら数多くなることは、めでたいことだ」と言う。

【語句】
せめて・・・ぜひ。どうか。





大晦日はあはぬ算用(巻一 第四段落)~亭主申すは、「九両の小判~

【冒頭部】
亭主申すは、「九両の小判、十両の詮議するに、十一両になること

【現代語訳】
亭主が申し上げることには、「九両の小判は(実は)十両(のはず)という詮議をしていると、十一両になるということは、(この)座中に(どなたか)金子を持ち合わせていらっしゃり、さっきの難儀を救おうとするために、(ご自分の小判を)お出しくださったことは、間違いない。この一両は自分のほうに納めてよいいわれはない。持ち主の方に返したい」と聞くと、誰一人返事のしてもなく、一座は変な具合になって(白けてしまって)、夜更けに鳴く一番鳥が鳴く時だけれども、めいめいが(座を)立ちにくがっていらっしゃったので、「これから先は、亭主(自分)の考えどおりになさって下さい。(=させてください)」と願い出たところ、(客たちは)「ともかくも、ご主人のお考えどおりに(お任せしよう)」と申し上げなさったので、(亭主は)あの小判を一升桝に入れて、庭の手水鉢の上に置いて、「どなたでも、この金子の持ち主は、お取りになって、お帰りください」と、お客を一人ずつお立たせ申し上げて、一回一回ごとに、戸を閉めて、七人を七回に(分けて)出して、その後、内助は、手燭をともして見ると、誰とも知れず持ち帰っていた。





大晦日はあはぬ算用(巻一 第五段落)~あるじ即座の分別~

【冒頭部】
あるじ即座の分別、座なれたる客のしこなし、かれこれ武士のつきあひ、格別ぞかし。

【現代語訳】
亭主の即座の工夫、座なれている客の振る舞い、あれといい、これといい、武士の交際というものは、格別に立派なものである。









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