土佐日記




門出(十二月二十一日)~男もすなる日記というものを~

【冒頭部】
男もすなる日記というものを、女もしてみんとてするなり。

【現代語訳】
男も書くものだと(かねて)聞いている日記というものを、女(のわたくし)も試みてみようと
思って、(こうして)書くのです。ある年の、十二月の二十一日の午後八時ごろに旅立つ。その(旅
中の)様子を、(以下に)手短に書きしるす(ことにします)。
ある人が、地方官勤務の四、五年(の任期)が終わって、おきまりの(事務引き継ぎなどの)こ
とをすっかりすませ、離任証明の書類などを受け取ってから、(今まで)往んでいた官舎から出て、
船に乗ることになっている場所へおもむく。あの人やこの人、知っている人や知らない人(などい
ろいろな人たち)が見送りをする。(中でも)数年来親しくつきあってきた人たちは、特に別れづら
く思って、一日中、(あわただしく)なにやかやと気を配って、さわぎたてているうちに、夜がふけ
てしまった。

【語句】
すなる・・・するとか聞いている。
日記・・・①男性の官僚が公務上記録した公的な日記(外記日記・成人日記など)、②天皇や貴族が執筆した私的な日記(御記・家記など〕
女も・・・女であるわたくしも。
それの年・・・某年、ある年。
しはす師走。・・・陰暦十二月の異称。
戌の時・・・戌の刻。大体今の午後七時から午後九時までの二時間に相当する。
門出・・・旅や出陣などのため、自分の家を出発すること。出立、旅立ち。
ものに書きつく・・・「もの(物)」とは、ある事物に代わって漠然と、または総括的に、その事物を指示する場合に使われる。
県・・・①大雨司などの地方言の任国。②地方官勤務。③地方、いなか。ここは②の意。①の意昧とみて、「県の」を「任国での」と解してもよい。
例のこと・・・国司が交替する際の、定例の、型どおりの、事務引き継ぎのこと。
解由(げゆ)・・・解由状の略。国司などの任期が終った時、前任者から後任者に諾務を引き継ぎ、後任者がそれらに異常や怠慢のないことをしるして、前任者に渡す書状。前任者はこれを京に持ち帰って、勘解由使局(かげゆしきょく)に提出し、その正当を認められた上ではじめて任を解かれた。
住む館・・・在任中住んでいた国司の官舎。
船にのるべきところ・・・乗船する予定になっている所。
わたる・・・①大海や川などの上を越えてゆく。②すぎる。通る。③行く。来る。うつりゆく。ここは③の意。
送りす・・・「送り」は、動詞「送る」の連用形が転成して名詞となったもの。「見送り」の意。
くらべつる・・・ごく親しくつきあってきた。「くらぶ」は、①比較する。②勝敗をきそう。③心を通わして、親しくつきあう。ここは③の意。
日しきりに・・・一日の行事がぎっしりつまっていて、すこしのゆとりもなく。
とかくしつつ・・・あれこれ、なにやかやと立ち回って。
ののしる・・・大声に言い騒ぐ。





馬のはなむけ(十二月二十二日~二十四日)~廿二日に、和泉の国~

【冒頭部】
廿(はつかあまり)二日(ふつか)に、和泉の国までと、たひらかに願立つ。

【現代語訳】
二十二日に、(どうかせめて)和泉の国までは(無事に行き着けますように)と、心静かに(神仏に)願をかけます。藤原のときざねが(たずねてきて)、(わたくしたちの旅行は)船旅なのだけれども(陸路の旅に出る時のように)馬のはなむけ(=送別の宴)をしてくれる。身分の高い者から低い者にいたるまでみんな、すっかり酔いがまわってしまって、たいそう不思議なことに、(塩のきいた)潮海のそばで、(だらしなく)乱れ騒ぎあっています。二十三日。八木のやすのりという人がいます。この人は、国司の役所でそれほど親しく召し使っているような(深い縁故の)者でもなさそうなのです。(それなのに)この人が諏几とまあ(律義なことに)、おごそかな態度で、お饒別をしてくれたものです。国司の人柄や治績がよかったせいでしょうか、土着の人の人情の常としては、(国司が離任して帰京してしまうからには)「もう顔出しをする必要もない」と思って、見送りにも来ない(のが一般の)ようですが、(このやすのりのように)真心のある人は、(他人のおもわくなどを)気にかけないでやって来たのでした。これは、よい贈り物をもらったから、それでほめるというわけでもない。二十四日。国分寺の住職が、送別の宴をしにおいでくださった。そこに居合わせた人々はみんな、身分の上下を問わず、子供までが正体もなく酔っぱらって、(手で書くとなると)一の宇さえも書けないような(無学の)者が、足では十の字を踏んで(千鳥足で)遊び興じている。

【語句】
和泉の国までと・・・和泉の国まで行き着けば(そこからは内海でもあり都にも近いので、心配なく航行できるようになる)
たひらかに願立つ・・・平静に、つつしんで、神仏への祈願をこめる。
藤原のときざね・・・伝不詳。
船路・・・船の通行するみち。転じて、船の旅。「陸路」の対語。
馬のはなむけ・・・①旅立つ人に物を贈ること、またその品。賎別。②旅立つ人のために酒食を出すこと。送別の宴。のことをさすようになった。ここでは②の意である。
酔ひあきて・・・いやというほどに酔っぱらって。
あやしく・・・怪しく、不思議なことに。
潮海・・・塩分を含んでいる普通の海。淡(あわ)海(うみ)・湖(みづうみ)の対語。
あざれあへり・・・「あざる」という動詞は二種類ある。①(戯(あざ)る=とり乱し騒ぐ・ふざけたわむれる)②る(=魚肉などが腐る・腐爛(ふらん)する。
国に・・・国において、この上地で。具体的に言えば、国司の庁において。
言ひ使ふ・・・用事を言いつけて(下僚として)召し使う。
あらざなり・・・ないようである。
たたはしきやうにて・・・いかめしく、りっぱな様子で。
守からにやあらん・・・国司の人柄などに対する評価が高かったからであろうか。
国人・・・いなかの人、地方人。都から赴任して来て、任期が終れば都に帰る国司その他の役人に対して、土着の人。
「いまは。」とて・・・「もう何も用はない。」と思っててかっこ内は、国人が心中に思う内容。かっこをはずして、普通の他の文として考えて、今は別れという時になりで」の意味にも解せられる。
見えざなるを・・・見えない(見送りに来ない)ようであるのに。
恥ぢずになん・・・見送りをしない他の国人に対してきまり悪がったりはしないで、世間体をはばからずに。
これは・・・このようにほめるのは。
講師・・・国分寺の住職(もと国師と呼ばれていた仏教の経論を講説する人)。
十文字を踏む・・・十の字を踏んで千鳥足で歩く。
ものしが・・・ものでさえもが。





船出(十二月二十七日)(大津より浦戸へ)~廿七日。大津より浦戸を~

【冒頭部】
廿(はつかあまり)七日(なぬか)。大津より浦戸をさしてこぎ出づ。

【現代語訳】
二十七日。大津から浦戸をめざして船を漕ぎ出す。こうしたこと(=事務引き継ぎの公務や送別の宴など)が、いろいろとある中でも特に、京都で生まれて(土佐の国に連れてきて)いた女の子が、この任地で急になくなってしまった(事があった)ので、最近の出立準備のとりこみを見ていながら、一言も口出しをしない。(いよいよ待望の)京都に帰るというのに、女の子のいないことばかりを、悲しみ恋しがる。そこに居合わせる(同船の)人たちも(その様子を見ては)悲しくてたまらない。そこで、ある人(=貫之)が書いて見せた歌は、都へと……いよいよ都へ帰るのだと思えばうれしいばずなのに(そうではなくて)何かにつけてもの悲しい思いがするのは、(生きて)いっしょに帰ることのない人(=亡児)がいるからだったのですね。また、ある時には、あるものと……(女の子のことを)まだ生きているものと思って、つい(死んだことを)忘れてしまっていて、またしても、「おや、あの子はどこかしら?」と尋ねてみたりして、(ハツと気がつく)そのことが、いかにも悲しいことでした。と詠んだりしているうちに、鹿児(かこ)の崎というところに(着いたが、そこに)は、(新任の)国司の兄弟やまた他の人たち、だれかれが、酒などをもって追いついてきて、浜辺に下りて着座して、惜別のあいさつを述べる。国司の公館の人々の中でも、ある人たちだ、(しかし、他の者はそれほどでもない)というふうに、大きな声では言えないが、つい口に出したくなる。

【語句】
大津・・・今の高知県長岡郡大津村。中世以前は河口の港であったと伝えられる。
浦戸・・・今の高知市浦戸。大津の南西約十キロ、浦戸湾口にある港。
かくあるうちに・・・このようにいろいろなことがある中で。そうこうしているうちに。
国にて・・・任国・任地(土佐の国)で。
にはかに失せにしかば・・・急死したので。
出で立ちいそぎ・・・出立の準備。「いそぎ」は、①いそぐこと。急用。②準備。用意。したく。ここは②の意。
なにごともいはず・・・一言も口をきかない。
京へかへるに・・・(待ちかねた、なつかしい)京へ帰るのに。
ある人々・・・そこに居合わせる人々。一座の人を。ここでは、同船した一行の人々。
えたへず・・・(同情のあまり)悲しみに堪えることができない。
このあひだに・・・①この間に。②そこで。こうして。さて。この場合は②の意味
ある人・・・或る人。貴之をさす。
書きて出だせる歌・・・「出だせる」は、人々に「示した」、「見せた」の意。
都へとおもふを・・・都へ(帰ることができる)と思うのに。
かへらぬ人・・・自分と一緒に(都へ)帰らない人。「二度とこの世に生きかえらない人」の意昧もかけられている。
あればなりけり・・・あるからなのだなあ。
あるものと忘れつつ・・・この世に存在しているといつも忘れて。
いづら・・・どこ。(「いづこ」より更に漠然とした範囲を指し、所在を尋ねる語)
鹿児の崎・・・大雄村の西約丁五キロ、今は鹿元山と呼ばれる丘陵の一角になっているが、昔は港内に突き出た岬であったという。
守の兄弟(はらから) ・・・(新任の)国司の兄弟。国司は島田公アキという人であるが、その兄弟の氏名は不詳。
こと人・・・他の人、別の人。「こと」は「異なる」の意。
酒なにと・・・酒など。酒や、その他いろいろと。
下りゐて・・・(船から)下りて(宴席を設けて)着座して。
わかれがたきこと・・・①「こと」を「事」の意にとれば、別れのつらいこと、別離のつらさ。②「言」の意にとれば、惜別のあいさつ。送別の辞。②を採る。





奈半より室津へ(一月十日・十一日)~十日。今日はこの奈半の泊に~

【冒頭部】
十日。今日は、この奈半の泊にとまりぬ。

【現代語訳】
十日。きょうは、この奈半の港に停泊した。
十一日。夜明け前に船を出して、室津へ向かう。人々はみんな、まだ寝ている(暗い時分な)ので、海の様子もわからない。ただ、月(の位置)を見て、(やっと)西東(の方向)がわかるのであった。そうこうしているうちに、すっかり夜が明けて、手を洗い、(洗面・拝礼・食事など)いつものとおりのことをして、昼になった。(そして)ちょうど今、羽根という所に来た(ときのことであった)。幼い子どもが、この土地の名を聞いて「ハネっていうとこは、鳥のハネみなたいになってンの?」という。まだほんの幼い子供の言うことであるから、(その無邪気な質問をおもしろがって)人々が笑う、その時に、例の(歌のうまい)女の子が、こんな歌を詠んだ。(それは)、
まことにて・・・この土地が、その名のとおり、ほんとうに羽根ならば、(私たちもその羽根を使って)、飛ぶように早く都へ帰りたいものですワ
と詠んだのだった。(一行の)男も女も、なんとかして早く京へ帰りたいものだと思う気持ちがあるので、この歌(のできばえ)がすばらしいというわけでもないが、「なるほどそのとおりだ」と思って、人々は(これを)忘れないでいる。

【語句】
暁・・・夜中過ぎ。夜明け前。
ありやう・・・有様。実態。
わかし・・・①幼い。②未熟である。③血気盛んである。ここは①。





亡児の追憶(一月十一日)~この羽根といふところ問ふ童の~

【冒頭部】
この羽根といふところ問ふ童のついでにぞ

【現代語訳】
この、羽根という所のことを質問した子供との関連で、またもや、なくなった子のことを思い出してしまって、(急に悲しくなりましたが)いったい、いつ忘れることがあるでしょうか(いつだって忘れることがあるものですか)。きょうはとりわけ母君(=亡児の母、貫之夫人)のお嘆きになることといったら(並大抵ではない)。(京から土佐へ)赴任した時の(家族の)数が、(今はひとり)減っているので、昔の歌に、「数が足りないままで、(雁は)帰ってゆくようであるよ。」とある文句を思い出して、ある人(=貫之)が詠んだ歌、
よのなかに・・・世の中(にあるいろいろな嘆きや悲しみ)に思いをめぐらせて(考えを合わせて)みるけれども、亡き児を恋い慕う(親の)嘆きにまさるほどの嘆きというものはないものですねえ。
といくたびも言って、(悲嘆にくれて)いることよ。





阿倍仲麻呂の歌(一月十九日・二十日)(三笠の山に出でし月)

【冒頭部】
十九日(とをかあまりここぬか)、日あしければ、船出ださず。

【現代語訳】
十九日。天候が悪いので、船を出さない。
二十日。きのうと同様(悪天候)なので、船を出さない。一行の人々はみんな、心をいため、嘆息する。(同じ所でむなしく日を送るのが)つらく、じれったいので、(出発してからの)過ぎ去った日数を、きょうまでで何日(になった)、二十目(になった)、三十日(になった)と、やたらに数えてばかりいるものだから、指もいたんでしまいそうです。とてもつらい。夜は眠りもしない。(まじまじしていると)二十日の、夜ふけの月が出てしまったことだ。(ここでは、月の出にふさわしい)山の端(は)もなくて、海の中から出てくるのです。(ちょうど)このような光景を見てのことでしょうか、昔、安倍仲麿とかいった人は、中国に渡って、(その後、日本に)帰って来ようとした時に、乗船するはずの所で、あちらの国の人々が、送別の宴をもよおし、別れを惜しんで、あちらの国の漢詩を作ったりなどしたそうです。それだけでは(なごりが尽きず)まだ、満足しなかったのでしょうか、二十日の夜の月が出るまで(そこにそうして)いたのですって。その月は(今夜の月のように)海から出たのですって。これを見て、仲麿殿が、「私の国で討、こういう歌というものをね、神代から神様もお詠みになり、今では上中下(の区別なく、どんな身分)の人でも、このように別れを惜しんだり、うれしいことがあったり、悲しいことがあったりする時には、詠むのですよ。」と言って、詠んだという歌、青海原………青々とした広い海をはるかに見渡すと、(今しも月が上ってきた。)ああ、あの月こそ、(忘れもしない)春日(かすが)の里の三笠山の上に出たあの月(と同じ)ではないか。と詠んだのだそうです。

【語句】
うれへなげく・・・「憂ふ」は、①なげいていう。②心をいため思う。心配する。ここは②の意。「なげく」の原義は「長息」で、①ためいきをつく。嘆息する。②悲しむ。悲しんで泣く。③切にこい願う。嘆願する。ここは①の意。
心もとなければ・・・「心もとなし」は、①心がいらだつ。待ち遠しい。じれったい。②気がかりである。不安である。③ぼんやりしていて頼りない。ここは①。
ただ・・・ただもう。やたらに。
日の経(へ)ぬる数・・・(土佐の国府を出発してから)日にちが経過した数。
今日幾日(いくか) ・・・きょうで幾日になるか。「か」は、「十日(とおか)・二十日(はつか)」などの「日」。
指(および)もそこなはれぬべし・・・「および」は、ゆび。「損ふ」は、こわす、破損する、傷つける、の意。
寝も寝ず・・・ねることもしない。
山の端・・・空に接する山の稜(りょう)線。山際(ぎわ)。
かうやうなる・・・このようである。
安部の仲麿・・・(阿部仲麻呂とも書く)。奈良時代の遣唐留学生。
…といひける人・・・…とかいった人
かへり来けるとき・・・帰って来ようとした時に。
船にのるべきところ・・・(帰国のため)船に乗るはずの所。
馬のはなむけ・・・送別の宴。
かしこの詩・・・あちら(中国)の漢詩。
あかずやありけん・・・まだ満足しなかったのでしょうか。
出づるまでぞありける・・・(とうとう、遅い月が)出るまで(そこに)とどまっていたということである。
詠んたび・・・お詠みになり。
かうやうに・・・このように。
青海原(あおうなばら) ・・・青々とした、広い海。
ふりさけ見れば・・・はるかに見渡すと。
春日なる・・・春日(今の奈良市春日野町)にある。
三笠の山・・・三笠山。奈良市の東方にある山。春日神社の東に接し、その神域になっている。
かも・・・詠嘆・感動の終助詞。





黒鳥(一月二十一日)~かくうたふを聞きつつこぎ来るに~

【冒頭部】
かくうたふを聞きつつこぎ来るに、黒鳥といふ鳥、岩の上に集まりをり。

【現代語訳】
このように(少年が)歌うのを聞きながら、漕ぎ進んでくると、黒鳥という鳥が、岩の上に群れをなしてとまっている。その岩の下の方には、波が白く(砕けて)うち寄せている。(それを見て)船頭がいうのには、「黒鳥のもとに白波が寄せている。」なんて言います。この言葉は、別にどうということもない(目にふれたままのことを言った)のだけれども、(私には何か詩の一句のような)しゃれたことを言うように聞こえたのです。(文学的ともいえるこんな表現は、船頭のような)身分(の人)にはふさわしくないので、(ひょいと)心にとめたのです。こんなことを(話題にして)話しながら進んでゆくうちに、船客のかしらである人(=貫之)が、波を見て、(つくづくと思うには)「国府を出発した時からずっと海賊が(国司在任中の鎮圧を恨んで)仕返しに来るだろうというような風評を気に病んでいる上に、海上(の風波)がまた恐ろしいものだから、(心労のあまり)頭の髪もすっかり白くなってしまった。(こうしてみると)七十だの八十だのという老齢(になる原因)は、海の中にあるものだったのだなあ。」(と慨嘆して)
わが髪の・・・私の髪の毛につもった雪(のような白さ)と、磯辺にうち寄せるあの白波とは、一体どちらがいっそう白いかなあ、沖の島守よ(教えてくれ)。(と詠んで)「船頭さんや、どうだね、(島守に代わって)答えてはくれまいか。」(とおどけてみせるのでした。)

【語句】
咎む・・・怪しむ。気にする。心にとめる。





忘れ貝(二月四日)~四日(よか)。楫(かぢ)取り、今日~

【冒頭部】
四日(よか)。楫(かぢ)取り、今日、風雲の気色はなはだ悪し、といひて、船出ださずなりぬ。

【現代語訳】
四日。船頭が、「きょうは、風や雲の様子がたいそう険悪です。」と言うので、船を出さずじまいになった。それなのに、一日じゅうずっと、波も風も立だない。この船頭は、天気の予測もろくにできないトウヘンボクだったのです。この港の浜べには、いろいろの美しい貝や石などがたくさんある。そこで、(これらのものを見るにつけても)ただもう、死んだ子供のことばかりを(むしょうに)恋しがって、船の中の人が詠んだのは、よする波………浜べにうち寄せる波よ、どうか(あの忘れ貝を)うち寄せておくれ。そうしたら、私が恋しくて忘れられない人のことを忘れることができるという、その忘れ貝を、私は船から下りて拾いますからね。と詠んだので、ある人がたまらなくなって、船中のうさばらしに詠んだのは、忘れ貝………忘れ貝なんか拡は拾おうとは思いませんよ。美しい石でも拾って、白玉のようにかわいいあの子のことを(忘れないで)恋しく思い続けるだけでも、せめてもの形見としたいものです。と詠んだのです。(忘れようと言ったり、忘れまいと言ったりして)(死んだ)娘のためには、親は(とんと分別をなくしてしまって)幼い子供のようになってしまうらしい。「珠(たま)のようにというほど(美しい子)でもなかっただろうに。」と、他人は(かげて)言うのではないかしら。しかし、「死んだ子は器量がよかった。」という言葉もある(から、この親の気持ちは無理からぬところもある。)相変わらず、同じ所にとどまって(むなしく)日を送ることを嘆いて、ある女が詠んだ歌は、手をひでて……(本当の泉なら、手をひたせば冷たいのだが)この、手をひたしても冷たさも感じないような、名ばかりの泉、この和泉の国で、水を汲むというわけでもなく(むだに)幾日も過ごしてしまいましたよ。

【語句】
気色(けしき)・・・様子。有様。
はなはだ・・・「いと」「いたく」「いみじう」などに相当する、漢文訓読用語。
あし・・・「荒々しい。険悪である」の意。「あし」は、「わろし」(=ヨクナイ)に対して、断定的に悪い意。「よし」と「よろし」の関係に対応する。
いひて・・・(船頭が)言って、そのために。
しかれども・・・「されど」「されども」「さはいへど」などに相当する、漢文訓読用語。
ひねもすに・・・「ひねもす」「ひすがら」に同じ。朝から晩まで。一目じゆう。終日。「よしすがら」の対語。
日もえはからぬ・・・天候の予測もろくにできない。
かたゐ・・・本来は「片居(=道の片隅に居るとの意で、乞食・物もらいのこと。ここでは、予測が違い一目損をしたので、船頭をののしって、こじき野郎・ばか者・ろくでなし・唐変木などの意。
この泊(とまり) ・・・この港
くさぐさ・・・種々。いろいろ。さまざま。
うるはしき・・・「うるはし」は、未来「壮麗だ。端正だ。きちんとしている」の意で、「うつくし」とは区別して用いられるのが普通であるが、ここでは「美しい」の意で用いられている。
おほかり・・・「多くあり」の約。
かかれば・・・「かくあれば」の約。このようであるから。そこで。
ただ・・・程度のはげしいさまを表す副詞。ひたすら。切に。まったく。「恋ひつつ」を修飾する。
昔の人・・・十二月二十七日の条に「京にてうまれたりし女児国にて……失せにしかば」とある、その女児をさす。
船なる人・・・鉛に(乗って)いる人。
よする波・・・うち寄せる波
うちもよせなむ・・・どうか(あの貝を)うち寄せておくれ。
忘れ貝・・・①海浜などにうち寄せられた、肉の脱げた貝。虚(うつせ)貝(がい)。②ササラガイ。円くて直径六、七センチ、外面談紫色の貝で、本州・四国丿九州の沿岸に産する。ここは②。
船の心やり・・・(苦しいことの多い)船中の気ばらし。「心やり」は、心を遣(や)ること、心を慰めること。
白珠・・・白色の美しい玉。「忘れ貝」の縁語。愛児にたとえると共に、海辺の美しい石のことも含めている。
恋ふるをだにも・・・せめて恋しく思い続けるだけでも。
かたみとおもはん・・・「かたみ(形見)」は、思い出の種となるもの、遺品、記念品。忘れ貝を拾うのではなくて(日日忘却しようとするのではなくて)、白玉を拾って、それのようにかわいい亡児の記念としよう(=忘れないように大切にして、思い続けていこう)。
親をさなくなりぬべし・・・(子を失った)親というものは、(すっかり分別をなくして、聞きわけのない子供のように)おろかになってしまうらしい。
珠ならずもありけんを・・・(「白珠を恋ふる」などと、亡児を玉にたとえて詠んではいるか)、玉というほど(美しいかわいらしい子供)でもなかっただろうのに(はかに大げさな悲しみ方をしたものだな)。
人いはんや・・・(傍観者の)他人は言うであろうか。多分(かけ目を)言うことであろう。
死し子・・・「死にし子」→「死んじ子」→「死し子」と変化したもの。
といふやうもあり・・・というような言い表し方もある。というような言葉もある。
手をびでて・・・手を水につけてぬらして。





住吉明神に奉幣(二月五日)~かくいひてながめつつ来るあひだに~

【冒頭部】
かくいひてながめつつ来るあひだに、ゆくりなく風吹きてこげども

【現代語訳】
こんなふうに歌を詠んで、物思いにふけりながら、ぼんやりあたりに目をやって進んで来るうちに、思いがけなく急に風が吹き出して、漕いでも漕いでも、(船は)どんどん後へさがって、今にも(風が船を)うち沈めてしまいそうである。船頭がいうのには、「この(あたりをお守りになる)住吉の明神様は、(ほしい物がある時には、いつもこうして波風をお立てになる)、例のむずかしい神様なのですよ。(今は)何かほしい物がおありなさるのでしょう。」とは、なんとまあ(上様までが)当世ふう(の悪い傾向)になっていることでしょう。そこで、(船頭が)「幣をお差し上げなさって下さい。」と言う。その言葉に従って、幣を差し上げる。このように(ちゃんとお望みどおり)差し上げたのだけれども、いっこうに風はやまないで、ますます吹きつのり、(波も)ますます立ちさわいで、風波が危険なので、船頭がまた言うことには、「幣では(明神様の)お心に御満足がいかないので、お船も進みゆかないのです。もっと、(神様が)お喜びになりそうなものをお差し上げなさって下さい。」という。

【語句】
眺む・・・①物思いに沈んでぼんやり見やる。②遠く見渡す。ここでは①。
ほとほとしく・・・もう少しのところで。
嵌む・・・①はめる。②落とし入れる。投げ込む。③だます。ここは②。
いまめく・・・現代ふうである。当世ふうである。





神の心を見る(二月五日)~また、いふにしたがひて~

【冒頭部】
また、いふにしたがひて、「いかがはせん。」とて

【現代語訳】
また、(船頭の)言う言葉に従って、「どうもしかたがあるまい。」と思って、「(大切な)眼だって二つはあるのですよ。(それなのに鏡は一つしかないからもっと大切なのですが、その)たった一つの鏡を(思いきって)差し上げます。」と言って、海に投げ込んでしまったので、残念です。そうしたら、たちまち、海は鏡の表面のように(平らに)なってしまったので、ある人が詠んだ歌は、
ちはやふる・・・荒れ狂う海に鏡を投げ込んで、(海がとたんに静かになるのを見ましたが、それと同時に)一方では、神様の(現金な)本心を(鏡にうつして見るようにはっきりと)見てとってしまいましたよ。
とても、穏やかに澄む「住の江」とか、「忘れ草」とか「岸の姫松」などという(優美な歌語から想像される)ような(やさしい)神様なんかではありはしませんよ。目前にまざまざと、鏡によって神の心を(うつして)見てしまったことです。船頭の(欲深い)心は(そのまま)神様の御心であったのですよ。

【語句】
うちつけなり・・・①突然だ。にわかだ。②深い考えがない。③ぶしつけだ。ここは①。





帰京(二月十六日)~夜更けて来れば~

【冒頭部】
夜更けて来れば、ところどころも見えず。京に入り立ちてうれし。

【現代語訳】
夜が更けてからやって来たので、途中のいろいろな場所も見えない。それでも、京の町にどんどん入って行くので嬉しい。家に到着して、門に入ると、月が明るいので、とてもよくありさまが見える。かねて噂で聞いていた状況以上に、お話にならないほどにひどく、壊れいたんでいる。(家だけではなく)家に預けておいた留守番の人の心も、(家と同様に)すさんでいるのであったなあ。家と家との間にある簡単な垣根はあるけれども、一つ屋敷みたいなものだから、(先方が)望んで預かっているのであった。そうではあるけれども、(こちらとしては)機会があるたび、(その預かってくれた人には土佐から)お礼の物も絶えず与えている。(でも帰京した)今宵は、「なんだ、このざまは」と、(従者たちに)声高に言わせはしない。ほんとうに薄情だと思われるけれども、お礼はしようと思う。
さて、(庭には)池のように窪まり、水のたまっている所がある。(その)まわりに松もあった。留守にしていた五年か六年の間に、千年が過ぎてしまったのだろうか、一部はなくなってしまっていた。(反対に)今新しく生えたのが混じっている。だいたいがすっかりすっかり荒れてしまっているので、「ああ、ほんとうにひどいね。」と人々が言う。
思い出さないことはなく、あれもこれも恋しく思われる中でも、この家で生まれた女の子が(土佐で亡くなって)いっしょに帰らないので、どんなに悲しいことか。同じ船に乗ってきた人は皆、子供が寄り集まって大騒ぎをしている。こうした情況の中で、やはり、悲しみに堪えられなくて、そっと、お互いの気持ちのわかっている人と詠みかわしていた歌は、
ここで生まれた幼い子も(土佐で死んで)帰って来ないのに、留守中のわが家の庭に(新しく生え育った)小松があるのを見るのは、なんとも悲しいこと。と言ったのであった。それでもやはり、まだ言い足りないのだろうか、また、このように(詠んだ歌)。
今は亡き女の子が、松のように千年に齢を保っていたら、遠い土佐で永遠の悲しい別れをしただろうか。
忘れがたく、心残りなことは数多くあるけれども、とても書き尽くせない。何はともあれ、こんなものはぜひ、早く破ることにしよう。

【語句】
声高に・・・大声で。
かたへ・・・①半分。②一部。
あはれ・・・ほんとうにまあひどい。









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