徒然草(第181段~第243段)




ふれふれこゆき(第181段)

【冒頭部】
「ふれふれこゆき、たんばのこゆき」と言ふ事

【現代語訳】
「ふれふれこゆき、たんばのこゆき」ということは、(その雪のふるさまが)米をついてふるいでふるったのに似ているので、粉雪というのである。「たまれ粉雪」というべきところを、まちがって「たんばの」というのである。(このあとにつづけて)「垣や木のまたに」と歌うべきだと、あるもの知りの人が申しました。(このことは)昔からいったことなのであろうか。鳥羽上皇が幼くいらっしゃって、雪のふる日にこのように歌われたということが、讃岐典侍の日記に書いてある。

【語句】
言ひける事にや・・・いったことなのであろうか。





城陸奥守泰盛は(第185段)

【冒頭部】
城陸奥守泰盛は、さうなき馬乗りなりけり

【現代語訳】
秋田城介兼陸奥守泰盛は、ならぶもののない馬乗り(の名人)であった。馬をひき出させた時に、(その馬が)足をそろえて、しきいを軽々とこえるのを見て、「これは気のたっている馬である」といって、その鞍を(ほかの馬に)置きかえさせた。また、(別の馬が)足をのばしてしきいにけりあてた時は、「これは(動作が)鈍重で、けがをするだろう」といって乗らなかった。
(馬術の)道を知らない人は、こんなに用心するだろうか、用心はしないであろう。

【語句】
さうなき・・・ならぶもののない。
いさめる・・・気おいたっている。
のべて・・・のばして。
あやまち・・・①失敗。②罪。③けが。ここは③。





ある者、子を法師になして(第188段)~ある者、子を法師になして~

【冒頭部】
ある者、子を法師になして、「学問して因果のことわりをも知り、

【現代語訳】
ある者が、子どもを法師にして、「学問をして、因果の道理をも知り、説教などをして、生活していく手段にしなさい」といったので、(その子は、親の)教えのとおり、説教師になろうとして、まず馬に乗る練習をした。輿や牛車は持っていない自分が、導師として招かれるような時に、馬などを迎えによこしたような場合、桃尻で落ちるようなことはなさけないだろうと思った(からである)。次に、法事のあとで、酒などをすすめることがあるような時に、法師が、まるで芸なしなのは、檀那が興ざめに思うだろうと考えて、早歌ということを練習した。二つの技術が、だんだん素人離れしてきたので、ますますよいものにしたく思って、練習しているうちに、説教をならうべきひまがなくて、年とってしまった。
この法師だけではない、世間の人には、一般的にこれと同じことがある。若いうちは、なにごとについても、立身出世し、大きな道を成しとげ、芸能も身につけ、学問をもしようと、遠い将来にかけて予定することなどを、心にかけながらも、この人生を
のんびり(しているもの)と考えて、まったくなまけつづけて、まず、さしあたっての目の前のことにだけまぎれて、月日を送っているので、どれもこれも仕上げることがなくて、その身は年老いてしまう。結局、その道の名人にもならず、思ったように立身出世しない。後悔したところで、取り返すことができる年齢ではないので、走って坂をくだる車輪のように、衰えてゆくのである。
だから、一生のうちで、主として、希望しているようなことの中で、どれがすぐれているか、よく比べ考え、第一のことを考え定めて、それ以外は断念して、一つの事をはげまなければならない。一日のうちにも一時の中にも、たくさんの(したい)ことがやってくるような中で、少しでも価値のまさっているようなことを行って、それ以外をすてて大事を急いですべきである。どれもすてまいと心の中で執着していては、一つの事も成就するはずはない。

【語句】
因果のことわり・・・ものはすべて原因があるから結果が出るという仏教の中の重要な教理。「ことわり」は①道理、②理由。ここは①。
世渡るたづき・・・生活をたてる手段。「たづき」は①たより、②手段、③生活の手段、④見当。ここは③。
輿・・・二本のぼうの上に座席をおき人を乗せる乗り物。
導師・・・説教や法事の会で中心となる僧。
おこせたらんに・・・よこしたような場合に。
桃尻・・・桃の実のようにでこぼこですわりのわるい尻。
心うかるべし・・・つらいだろう。なさけないだろう。「心うし」は①つらい、情ない、②いやである。ここは①。
むげに・・・まるで。はなはだしくひどいこと。
檀那・・・仏事をひらき僧を仏事に招待した人。施主ともいう。梵語。
すさまじく・・・興ざめに。「すさまじ」は①おもしろくない、興ざめだ、殺風景だ、②もの寂しい、③おそろしい、④とんでもない。ここは①。
早歌・・・鎌倉時代に流行した歌謡。
さかひに入り・・・専門家の域にはいり。
たしなみけるほどに・・・稽古しているうちに。
なべて・・・一般に。おしなべて。
能をもつき・・・芸能をも身につけ。
あらます事・・・予定すること。「あらます」は、かねて思い設ける、予期する。
身をも持たず・・・身を保たない。立身出世しない。
むねと・・・主として。
一時・・・ひととき。今の二時間
心にとり持ちては・・・心にしっかり持っていては。





ある者、子を法師になして(第188段)~たとへば、碁を打つ人~

【冒頭部】
たとへば、碁を打つ人、一手もいたづらにせず、

【現代語訳】
たとえていえば、碁をうつ人は、一手もむだにせず、相手より先に小(の石)をすてて大(きい布石)にとりかかるようなものである。それにつけても、三つの石をすてて、十の石につくことは容易である。(ところが)十(の石)をすてて、十一(の石)につくことは困難である。一つであってもすぐれているようなほうへつかねばならないのに、十にまでなってくれると惜しく思われて、たいしてまさっていない石とはかえにくいのである。これも捨てない、あれも取ろうと思う心から、あれも手にはいらず、これも失わねばならないというわけになるのである。
京にすむ人が、急いで、東山に用事があって、すでに(そこに)到着しているとしても、西山に行って、その価値がまさるはずと考えつくことができたならば、(その)門から帰って、西山へ行くべきである。ここ(東山)まで来てしまったのであるから、この用事をまずやってしまおう。日をきめていないことであるから、西山の用事は、帰ってから、また(この次に)出かけようと思うから、その一時的ななまけ心が、そのまま一生のなまけ心となるのである。これを恐れつつしまなければならない。
一つのことを必ずなしとげようと思うならば、他のことが失敗することを嘆くべきではない。他人のあざけりをも恥じてはならない。すべてのことを犠牲にしなくては、一つの大事は成就するはずがない。人々がたくさんいた中で、ある者が、「ますほのすすき、まほそのすすきということがある。わたのべの聖がこの事について伝授を受けて知っている」と語ったのを、登蓮法師が、その場におりましたが、(それを)聞いて、雨がふっていたので、「蓑と笠がありますか、お貸し下さい。そのすすきのことを習いに、わたのべの聖のもとへたずねてまいりましょう」といったが、「あんまりあわただしいことだ。雨がやんでから(お出かけなさい)」と人々がいったところ、「とんでもないことをおっしゃいますね。人間の命は、雨の晴れ間を待つものですか、待ちはしません。私も死に、聖も死んでしまえば、たずね聞けましょうか、たずね聞けません」といって、走り出て行って、習いましたと申し伝えていることこそ、すばらしく、めったにないことと思われる。「なんでも敏速にやれば成功する」と「論語」という本にもあるということである。(登蓮法師が)このすすきを不審に思っ(てはっきりさせたかっ)たように、仏道の悟りを得るという大事な機縁を考えなければならないことなのだ。

【語句】
いたづらにせず・・・むだにしないで。
それにとりて・・・それに関して
失ふべき道・・・なくすという理由。「道」は、道理、理由。
東山・・・京都の東一帯のこと。また東一帯に広がっている山の総称。
西山・・・京都の西一帯。嵯峨のあたり。
言ひてん・・・必ず言おう。
日をささぬ・・・日を決めない。日どりを限定しない。
懈怠・・・なまけ心。
万事にかへずしては・・・すべての事を犠牲にしなくては。
わたのべの聖・・・わたのべに住んでいる高僧。
登蓮法師・・・平安時代末期の歌人。
聖のがり・・・聖のもとへ。
まからん・・・参ろう。
雨やみてこそ・・・雨がやんでから。
たづね聞きてんや・・・必ず尋ね聞けようか、聞けはしない。
ゆゆしく・・・すばらしく。「ゆゆし」は①不吉だ、②よい意味でも悪い意味でも程度のはなはだしいのにいう。はなはだしい、すばらしい、とんでもない。
ありがたう・・・めったにない。
論語・・・孔子とその弟子の現行を筆録した書。儒教の聖典。
文・・・ここは漢文の書物。
いぶかしく・・・はっきり知りたいこと。「いぶかし」は、①気がふさぐ、②気がかりだ、③はっきりしないので、さらによく知りたい。ここは③。
一大事の因縁・・・仏教の悟りを開くきっかけ。「一大事」は仏道の悟りを開くこと。「因縁」は機縁・いずれも仏教語。





今日はその事をなさんと思へど(第189段)

【冒頭部】
今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎまづ出で来てまぎれ暮らし、

【現代語訳】
きょうはそのことをしようと思うが、別の急用が、まず出てきて、(そのことだけに)とりまぎれて暮らし、(来るかと思って)待っている人はさしつかえがあって(やって来ず)、こちらをあてにさせていなかった人は来、あてにしていた方面のことは(予想と)くいちがって、思いがけないことだけは望みどおりになるのである。やっかいだと思ったことは、無事(にすみ)、容易であるはずのことは、とても心を悩ます。毎日毎日(事が)過ぎていくようすは、かねがね思っていたこととは似ていない。一年の間もこのとおりである。一生の間もまたそのとおりである。
あらかじめの予定が、すべてくいちがうかと思うと、まれにはくい違わないこともあるので、いよいよものは(まえあって)きめることができない。ものごとは定めがないと承知しておくことだけが、ほんとうであって、まちがわないことである。

【語句】
あらぬ急ぎ・・・別の急用。「あらぬ」は①専門外の、他の、②意外な、③望ましくない。ここは①だが、②ともとれる。
まぎれ暮らし・・・とりまぎれて暮らし。「まぎる」は①見分けにくい、②入りまじる、③他のものに心がひかれる、④隠れる、⑤多忙である。ここは③。
さはり・・・さしつかえ。
頼めぬ人・・・こちらを期待させない人。あてにしない人。
かなひぬ・・・望みどおりになる。
わづらはしかりつる事・・・やっかいだと思ったこと。「わづらはし」は、①いとわしい、②やっかいだ、③気がかりだ。ここは②。
ことなくて・・・無事で。
やすかるべき事・・・容易なこと。
心ぐるし・・・心をいためる。①気がかりである、②気の毒だ。ここは①。
しかなり・・・そのとおりである。
あらまし・・・予定。期待。
おのづから・・・ここは「まれに」の意。
違はぬ事もあれば・・・ちがわないこともあるので。
不定・・・定めのないもの。
心得ぬるのみ・・・承知しておくことだけが。





丹波に出雲という所あり(第236段)

【冒頭部】
丹波に出雲と言ふ所あり。大社をうつして、

【現代語訳】
丹波の国に出雲というところがある。(そこに)出雲大社(の神)を分けうつして、(神社を)りっぱに造営した。しだのなんとかいう人が治めているところなので、(その人が)秋のころ、聖海上人やその他の人をたくさん誘い、「さあ、いらっしゃい、出雲神社参拝に。ぼた餅をごちそうしよう」といって、連れて行ったところ、めいめい参拝してとても信心をおこした。神前にある獅子と狛犬が、背をむけあって立っていたので、聖海上人はとても感動して、「ああ、すばらしいな。この獅子の立ちかたは、たいへん珍しい。深いわけがあるのだろう」と涙ぐんで、「もしもし、みなさん。すばらしいことが不思議にお目にとまりませんか。(これに気づかないとは)なさけないことですよ」というと、めいめい不思議がって、「ほんとうに他とは違っている。京都へのみやげ話にしよう」などというと、上人はさらに(そのいわれを)知りたくて、年輩で、ものをわきまえていそうな顔をしている神官を呼んで、「この神社の獅子のお立てになられ方は、きっといわれがあることでしょう。ちょっとお聞きしたい」といわれたところ、「そのことです。いたずらな子どもたちがいたしたことで、けしからんことです」といって、(獅子に)近づいて、置きなおして行ってしまったので、上人の感動の涙もむだになってしまった。

【語句】
丹波・・・現在の京都府と兵庫県の一部。
出雲・・・京都府亀岡市千歳町字出雲。
大社・・・出雲大社。島根県大社町にあり、大国主命を祭る。別名杵築大社。
うつして・・・御神体を分け移して。
めでたくつくれり・・・りっぱに造営した。「めでたし」は①すばらしい、りっぱだ、②祝うべきだ。ここは①。
しだのなにがしとかや知る所・・・しだのなんとかいう人が治めている所。
聖海上人・・・伝記不明。
いざ給へ・・・さあ、いらっしゃい。
掻餅めさせん・・・ぼた餅をごちそうしよう。
具しもていきたるに・・・つれていったところが。
ゆゆしく信おこしたり・・・たいそう信心をおこした。「ゆゆし」は①不吉だ、②善悪にかかわらず、程度のはなはだしい意にいう。ここは②。
御前なる・・・神前にある。
獅子・狛犬・・・神前に置かれ、装飾的なはたらきをする一対の想像上の動物の像。
そむきて・・・背をむけあって。
いみじく感じて・・・とても感動して。
あなめでたや・・・ああ、すばらしい。
いかに殿ばら・・・さあ、みなさん。
殊勝の事は御覧じとがめずや・・・すばらしいことが不思議にお目とまりませんか。「殊勝」は①殊にすぐれたさま、②けなげなこと。ここは①。
むげなり・・・情けない。はなはだしひどい。
ゆかしがりて・・・わけを知りたくて。「ゆかしがる」はそうした気持ちにかられる。
おとなしく物知りぬべき・・・年輩で、ものをわきまえていそうな。「おとなし」は①年をとって物慣れしっかりしている、②思慮分別にとむ、③穏やかな。ここは①。
立てられやう・・・おたてになられ方。
ならひあること・・・いわれがあること。「ならひ」は①習慣、しきたり、②きまり、③学習、④特に秘事などを口授されて学ぶこと。
ここは①。
うけたまはらばや・・・お聞きしたい。
その事に候ふ・・・そのことです。そのことなんですよ。
さがなきわらはべども・・・いたずらな子どもたち。「さがなし」は①たちのわるい、②口が悪い。ここは①。
つかまつりける・・・いたしたことである。
奇怪に・・・けしからんことで。
いたづらになりにけり・・・むだになってしまった。「いたづらに」は、①無益だ、②はかない、③たいくつだ。ここは①。





八つになりし年(第243段)

【冒頭部】
八つになりし年、父に問ひていはく「仏はいかなるものにか

【現代語訳】
(私が)八つになった年に、父に質問して「仏はどういうものでしょうか」と聞いた。父がいうには、「仏には人間がなったのだ」と。また私が質問する、「人はどうやって仏になるのでしょうか」父がまた「仏の教えによってなるのだ」と答えた。私がまた質問する。「(人を)教えました仏を、だれが教えましたか」また父が答えて、「それもまた、その前の仏の教えによってなられるのである」と。また私が質問して、「その教えはじめました第一の仏は、どんな仏でしたか」という時、父は、「(それは)天からふったのだろうか、地からわいたのだろうか」といって笑った。「問いつめられて、答えられなくなりました」と父は人々に語っておもしろがった。

【語句】
いはく・・・いうことには。









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