堤中納言物語




このついで~春のものとてながめさせ給ふ昼つかた~

【冒頭部】
春のものとてながめさせ給ふ昼つかた、台盤所なる

【現代語訳】
(中宮が)春雨を「春のもの」として、しみじみと見つめておられる昼のころ、台盤所に詰めている女房たちが、「宰相の中将がいらっしゃるようです。いつもお使いの香のにおいがたいそうはっきりします。」などと言っているうちに(中将は中宮の御帳の前に)ひざまずかれて、「昨夜から父の邸に行っておりましたので、そのまま御使いとして参りました。父の邸の東の対の紅梅の下に埋めておかれた薫物を、きょうの退屈しのぎにおためしになろうということで。」といって、たいそう見事な(紅梅の)枝に、銀のつぼを二つ付けておられる(のをさしあげた)。中納言の君が、そのつぼを御帳台の中(の中宮)にさしあげなさって、火取香炉をたくさん用意し、(中宮は)若い女房たちに、すぐその場で香をためさせなさって、(中宮自身も)御帳台ちょっとおのぞきになって、御帳台のそばの御座席にからだを横たえるようにしていらっしゃる。紅梅の織物の衣をお召しになり、重なった御髪のすそだけが(御帳から)見えているが、(女房の)だれかれが、とりとめもない話を低声でしていて、(中将は)そこにしばらくいらっしゃる。

【語句】
つい居る・・・①ふとかがみこむ。②ひざまずく。③ちょこんとすわる。ここは②。
たたなはる・・・重なる。





このついで~中将の君、「この御火取のついでに~

【冒頭部】
中将の君、「この御火取のついでに、あはれと思ひて

【現代語訳】
中将の君が、「この御火取を見るにつけても、かつてある人が、しみじみと感動して私に話したことが思い出されますよ。」とおっしゃると、(女房の中で)年長者らしい宰相の君が、「何事でございますか。(中宮さまは)手持ちぶさたでいらっしゃるのですから、お話し申しあげなさいよ。」とすすめると、(中将の君は)「それなら、私のあとにもお話を続けてくださいますね。」と念を押して、(次のような話をした。)
「ある姫君のもとへ、人目を忍んで通う男があったのだろう。たいへんかわいらしい子どもまでできてしまったので、(男は姫君を)かわいいと思い申しあげながらも、やかましい本妻があったのであろう、姫君をおとずれることはとだえがちであった。そんなときにも、(その子が父を)見忘れもせず、たいそうあとを追うのがかわいらしく、時折は自分の住居のほうに連れて行ったりするのを、(姫君は)『いますぐ返して下さい。』などとも言わないでいたのだった。ところが、しばらく間を置いて(男が)姫君のところに立ち寄ったもので、(子どもは)たいそう寂しそうにしていて、(久しぶりの父を)珍しく思ったのであろう、(慕い寄った。そこで男は)頭をなでながら(子を)見ていたが、その家に止まることのできない用事があって、出て行くのを、子どもは連れて行かれるのが習慣になっているので、いつものようにひどくあとを追う。(男は)それがかわいそうに思われて、しばらくそこに立ちどまっていて、『それならさあおいで。』と言って、子をだいて出たのだったが、(姫君は)それをたいそうつらそうに見送って、前にあった火取を手でなでながら、
子だにかく・・・(子どもまでがこうしてあなたのあとを追って出て行ったならば、私はひとりになって、今までよりいっそうあなたを恋こがれることであろう)と、もの静かに言うのを、(男は)屏風の陰で聞いて、たいそうかわいそうに思われたもので、子どもも姫君に返して、そのままそこに止まるようになった、という話である。(私はその人に)『(その男は姫君を)どんなにかかわいいと思うことであろう』と言いまた、『(いとしさは)並みたいていではなかろう』と言ったのだが、(相手は)誰のことだとも言わないで、ひどく(笑って、その)笑いにまぎらわして、そのまま終わってしまった。」

【語句】
そそのかす・・・その気になるようにさそう。
例の・・・例のごとく。いつものように。
まさぐる・・・手でさわる。いじる。





このついで~「いづら、今は中納言の君」~

【冒頭部】
「いづら今は中納言の君」とのたまへば、「あいなき事の

【現代語訳】
「さあいかが、こんどは中納言の君の番ですよ。」と、(中将の君が)おっしゃると、「困った話の糸口を申しあげなさったものですね。ああ(困った)。私は、ごく最近の事を申し上げることにしましょう。」と言って、(語りだした。)「昨年の秋ごろに、私が清水寺に参籠しておりましたところ、(私のへやの)そばにびょうぶだけを頼りなさそうに立てたへやが、(中でたく香の)においもすぐれて趣があり、けはいから察するといる人数も少いようで、(あった。)(そのへやで)時々泣くけはいが聞こえてきながら(経を読んで)おつとめをしているのを、だれだろうと(私は心をひかれて)聞いておりましたが、あす(参籠を終えて清水を)退出しようとしているその夕方、風がたいそう荒々しく吹いて、木の葉がはらはらと音羽の滝の方角に乱れ散り、濃く染まったもみじなどが、へやの前にすきまもなく散り敷いているのを、この隣のへやとの間を仕切ったびょうぶのそばに寄って、私のほうでも、じっと物思いにふけって見ておりましたらば、(隣のへやで)たいそう人聞きを忍ぶようなぐあいに、(次の歌をよんだ。)
いとふ身は・・・(この世をいとわが身は、何の変わりもなく生きながらえているのに、別に憂きこともあるまいと思われる木の葉は、このように風に散っていることよ)『風に吹かれる木の葉は(もの思いがなくて)うらやましい』と、聞こえるとは思えないほどかすかに(言ったのを)私が聞きつけました。その時の(相手のようすが)たいそうしみじみと心に感じられましたが、そうは思ってもやはり、すぐに返歌はしにくく、遠慮されてそのままに終わってしまいましたよ。」と中納言の君が語ると、(中将の君は)「(あなたほどの方が)きっとそのままではお過しにはならなかったろうと思われますがね。それにしてもほんとうならば、つまらない遠慮をなさったものですね。」

【語句】
あいなし・・・不愉快だ。面白くない。
つら・・・①顔・頬。②ものの表面。③ほとり・そば。ここは③。
つれなし・・・無情である。平気だ。変化がない。





このついで~「いづら、少将の君」とのたまへば~

【冒頭部】
「いづら、少将の君」とのたまへば、「さかしうものも聞こえざり

【現代語訳】
「さあ、少将の君(あなたの番ですよ)。」と、(中将の君が)おっしゃると、(少将の君は)「私は(口べたで)これまで上手にお話なんか申しあげたこともありませんのに。」と言いながら、(次のような話をした。)
「祖母に当たる人が、東山の辺のある所で修業をしておりましたのに、私もしばらく一緒に行っておりましたところ、主人の尼君のへやのほうに、たいそう立派な方々が大勢いらっしゃる気配がしておりましたが、(私にはそれが)だれかが多勢にまぎれて人目につかぬようにしているのか、と思われました。物を隔てて聞くそちらのほうの気配がたいそう高貴で、普通の身分の人とは思われませんでしたので、私は心をひかれて、障子の紙にちょっとした穴を作りだしてのぞきましたところ、すだれを掛けたそばに(さらに)几帳を立てて、清浄な感じの僧を二、三人ほどそこにすわらせて、たいそう美しげであった人が、几帳のそばに物に寄りかって横になり、この、すわっている僧を近くに呼んで、何か言っている。どういうことであろうかと、私が聞き分けられるほどの距離でもないけれど、(どうやら)尼になろうと(僧に)相談しているようすらしいと見えるが、僧は(尼にするのを)ためらうようすであるが、(女は)さらに重ねて熱心に言うようなので、(僧も)それならば、と言い、(女は)几帳の(とばりの)裂けめから、くしの箱のふたに、身長より一尺ほど余っているのだろうと見える髪で、毛筋やすその形がたいそう美しいのを、輪の形にまげて入れて、押し出す。(その女の)そばに、もう少し若く、十四、五歳ぐらいだろうかと見え、髪が身長に四、五寸ほど余っていると見える人が、薄紫色の上品なひとえ重ねを着、その上に?練の紅のあわせを重ねて、顔に袖を押し当てて、ひどく泣いている。(その少女は)この女の妹なのであろうと、私には推測されました。さらに、若い女の人たちが二、三人ほど、薄紫色の裳を引きかけて着ながらそこにすわっているが、その人たちも、どうしても涙をこらえきれずに泣いているようすである。乳母のような人などはいないのだろうかと、しみじみ気の毒に思われまして、(持っていた)扇のはしに小さな字で、
おぼつかな・・・(憂き世をそむいて出家なさるのはどなただということさえ私にはわからず、心もとないことですが、知らないながらも、《もらい泣きの涙で》私の袖もぬれるのです)と書いて、そばに幼い人がいましたのを使いとして、歌を持たせてやりましたところ、あの妹だろうかと思われた人が、返歌を書くようすである。そうして(幼い者に)渡したので、(その者が私のところへ)持って来た。その返歌の書き方が、趣があってじょうずなのを見たために(へたな歌を送ったことが)残念になって」などと(少将の君が)語っているときに、(ちょうど)主上がこちらにいらっしゃる御様子なので、その騒ぎにまぎれて、少将の君も(どこかに)隠れてしまった、という話である。

【語句】
さかし・・・①すぐれている。②すぐれて賢い。③平凡ではない。④しっかりしている。⑤こざかしい。
やすらふ・・・ためらふ。ちゅうちょする。
添ひ臥す・・・①物に寄ってからだを横にする。②添い寝をする。ここは①。





虫めづる姫君~蝶めづる姫君の住み給ふかたはらに~

【冒頭部】
蝶めづる姫君の住み給ふかたはらに、按察使の

【現代語訳】
ちょうをかわいがる姫君が住んでいらっしゃる(家の)そばに、按察使の大納言のお嬢さん(が住んでおられたが、その方は)、奥ゆかしく一通りではないようすで、両親もこの上なく大切に育てておられる。この姫君のおっしゃることに、「人々が花だのちょうだのと愛玩するのは、まったくつまらなく、ふしぎなことだ。人は誠実さがあって、物の本体を探究しているのこそ、その気だてがおもしろい。」といって、ありとあらゆる気味の悪い虫を集めて、これがどう成長変化するか見ようといって、いろいろな虫かごに入れさせなさる。その中でも、「毛虫が趣深いようすをしているのは、たいそう奥ゆかしい。」と言って、明けても暮れても、額髪を耳はさみにしたかっこうで、毛虫をてのひらにはわせて、見つめていらっしゃる。若い侍女たちは、それをこわがってうろうろしたので、男の子の召使いで、ものにこわがらない、身分の低い者を、近くに召し使って、箱に入れる虫たちを取らせ、虫の名をたずね聞き、初めて見る虫には、名まえをつけて、おもしろがっていらっしゃる。「人間はすべて飾りつくろうところのあるのはよくない。」といって、眉毛もいっこうにお抜きにならず、お歯黒も、面倒だ、きたない、といっていっこうにおつけにならず、まっ白な歯をあらわして笑いながら、この虫たちを、朝に夕に愛しておられる。(周囲の)人々が恐ろしくてたまらないので逃げると、その(風変わりな)お姫さまは、何とも異様なようすでその人たちを叱りつけるのだった。このように虫をこわがる人を、「けしからん、俗悪な者だ。」といって、黒々とした眉を寄せておにらみなさったもので、人々は(そのぶきみさに)すっかり気も転倒するのだった。
姫の両親は「たいへんみっともないことで、こう変わっていらっしゃるのはまったく(困ったことだ)。」とお思いになったけれど、「何か心に深く思いこんでいらっしゃることがあるにちがいない。みっともないことだと思って、(改めるように)申しあげることは、ひどく反駁なさるので、たいそう恐ろしいことだ。」と言って、(姫が変わっていることと共に)この反駁なさることをも、たいそう恥ずかしいことだとお思いになっていらっしゃる。「理屈なたといその通りでも、外聞の悪いことですよ。人は(だれでも)見た目の美しいことを好むものです。(あのお嬢さんは)見るからに気味の悪い毛虫を喜んでいらっしゃるそうなと、世間の人が聞くのも、どうもみっともない。」と、両親が姫君におっしゃると、姫君は、「ちっともかまいません。すべてのものごとを探究して、その行く末を見るからこそ、ものごとはおもしろさがあるのです。(それを非難するのは)たいそう幼稚なことです。(このとおり)毛虫がちょうになるのです。」(と)、毛虫のちょうに変化するのを、取り出してお見せなさる。「絹だといって世間の人が着るのも、蚕がまだ羽化しない先に、作り出すので、蚕がちょうになってしまうと、(人は)まったく相手にせず、役立たずのものになってしまうのですのに。」と、姫君がおっしゃるので、(両親も)それに反駁のしようもなく、(心の中では)あきれかえっている。そうは言いながらも、やはり(女だから)親たちに直接面と向かうことはなさらず、「鬼と女とは人に見られない(=結婚しない)のがいちばんだ。」と、(うまい文句を)考えていらっしゃる。母屋のすだれをわずかに巻きあげて、几帳を外の方に押し出して、(几帳ごしに)こんなふうにりこうぶってものを言い出しなさるのであった。

【語句】
心深し・・・意味が深い。趣がある。考え深い。
けしからず・・・変わっていない。尋常だ。よろしくない。
さまことなり・・・異常である。尋常でない。
あだなり・・・①誠がない。②かりそめだ。③無駄だ。ここは③。





虫めづる姫君~これを若き人々聞きて~

【冒頭部】
これを若き人々聞きて、「いみじくさかし給へど

【現代語訳】
姫君がこういうのを、若い侍女たちが聞いて、「ずいぶんとりこうぶったことをおっしゃるけれど、(姫君は)気が違っていらっしゃるのよ。このお遊び道具は何でしょう。(それにしても)どんな人が、ちょうをかわいがる姫君にお仕えしているのでしょう(うらやましい)。」と言って、兵衛という人が、
いかでわれ・・・(どうにかして私は、姫君に道理を説くようなことなく、《この家を》出て行きたいものだ。毛虫といっしょに姫君を見るようなことはもうしたくない)と言うと、小太夫という人が笑って、
うらやまし・・・(ああうらやましい。《世間では》花だちょうだと言うようだが、私たちは、毛虫くさい目を見ていることだよ)などと言って笑うと、「ああつらいことだ。(うちの姫君の)眉はまあ、毛虫そっくりじゃないの。一方、あの(まっ白な)歯ぐきは、皮がむけたのかと思われますわ。」と言って、左近という人が、
冬くれば・・・(冬が来ると、そのころは、着物の心配はないよ。季節は寒くても、毛虫がたくさん見られる《この家の》辺りはね)
「着物なんか着なくても過ごせそうですわね。」などと、口々に言っているのを、口のうるさい(年配の)侍女が聞いて、「若い方々は、何ということを言いあっていらっしゃるのですか。ちょうをかわいがると言われている人も、すべてけっこうだ、というふうに(私には)思われません。ふしぎな人だと思われますよ。ところでまた、毛虫を並べて、それをちょうだと言う人があるものでしょうか(そんな人はない)。ただ、毛虫がぬけかわってちょうになるのですよ。姫君は、その経過を探究して、毛虫をかわいがりなさるのですよ。それはほんとうにお考えの深いことです。(いったい)ちょうは、つかまえると手に鱗粉がついて、たいそうやっかいなものですよ。また、ちょうは、つかまえると、その人をおこりにかからせるという話です。ああ、なんとも不吉なことです。」と言うので、若い人たちは、ますます憎さが加わって、口々に(悪口を)言いあっている。
(姫君は)この虫たちをつかまえる従者には、けっこうなものやその者のほしがるものを下さるので、召使いたちは、いろいろと、恐ろしそうな虫たちを、集めてきては、姫君にさしあげる。毛虫は毛(のはえたところ)なんかは、かわいいけれども、(故事や詩歌などを)思い出さないから、もの足りない、と言って、かまきり・かたつむりなどを集めて、(召使いたちに)騒がしく歌わせて、それをお聞きになり、姫君自身も、声をはりあげて「かたつむりの角が争うのはなぜだ。」ということを、歌いあげなさる。召使いの名は、普通にあるようなのはつまらない、というので、虫の名をお付けになったものだ。(すなわち)けらお・ひきまろ・いなかたち・いなごまろ・あまひこ・などと名付けて、お召し使いになったものだ。

【語句】
さかす・・・取り扱う。処理する。
むつかし・・・不気味だ。厄介だ。
おぼゆ・・・①思われる・感じられる。②思いだされる。③似かよう





虫めづる姫君~かかること世に聞こえて~

【冒頭部】
かかること世に聞こえて、いとうたてあることを

【現代語訳】
このような次第が世間に知られて、たいそう面白くない評判が立つ中に、ある公卿のおおむこで、血気盛んで、ものごとに恐れを知らず、愛敬のある人があった。その人がこの姫君のことを聞いて、「いくら何でも、これにはおびえるだろう。」と言って、帯の端切れのたいそうきれいなのを、蛇の形そっくりに作り、動くことのできるような仕掛けなどを付けて、うろこのような模様のある懸ぶくろに入れた。それに結びつけた手紙を見ると、
はふはふも・・・(はいながらも、あなたの近くに付き従っていきましょう。いつまでも長く変わらぬ心を持つ私の身は)と書いてある。それを(姫君に贈った。取次ぎの女房が)何げなく、姫君の御前に持って来て、「袋を持ちあげるのさえ、ずいぶん重いことですねえ。」と言って、袋の口を開けたところ、蛇が鎌首を持ちあげた。侍女たちは、びっくり仰天して大騒ぎをしたが、姫君はたいそう落ち着いていて、「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と念仏をとなえて、「私がこの世に生まれる前の親なのでしょう。静かになさい。」と、声をふるわせ、顔をそむけて、「この蛇が若々しい人の中でも、私を血縁の者と思っているらしいのは、不思議な心のものですねえ。」と、ぶつぶつ言って、とはいっても、近くに引き寄せなさるのは恐ろしくお思いになったので、あっちに立ったり、こっちにすわったり、ちょうのように(落ち着かず)、苦しそうな声でものをおっしゃる。その声がたいそうこっけいなので、侍女たちはあわてて逃げ、笑いこけるので、(従者が姫の父の大納言に)こうこうですと申しあげる。「何とまああきれた気味悪い話を聞くことではあるよ。そんなもののいるのを(目の前に)見ながら、みんな(姫君を残して)その座を立ってしまったらしいが、けしからぬことだ。」と言って、大殿(=大納言)は太刀をひっさげて、走りだした。(この蛇を)よくご覧になると、実に巧みに蛇に似せて作っていらっしゃったので、大殿は、手に取りあげて「ずいぶんものを器用に作った人だなあ。」と言って、「あなた(=姫君)がりこうぶって、虫を賞玩なさると聞いて、(こんないたずらを)したのであろう。返事を書いて、早速返してしまいなさいよ。」と言って、ご自分のへやにお帰りになった。

【語句】
うたて・・・①ますますひどく。②怪しく。③いとわしく。





虫めづる姫君~人々、つくりたると聞きて~

【冒頭部】
人々、つくりたると聞きて、「けしからぬわざしける人かな」

【現代語訳】
侍女たちは、(この蛇が)作ったものだと聞いて、「けしからんことをした人ですね。」と言って憎らしがり、「返事をしてやらないと、(先方は)きっと待ち遠しがっているでしょう。」と言って(すすめるので、姫君は)、たいそうごわごわした無骨な紙に返事をお書きになる。平がなはまだお書きにならなかったので、方かなで、
ちぎりあらば・・・(前世の約束がありますならば、生まれかわってよい極楽でお目にかかりましょう。その虫の姿では、おそばに付いていにくい)「福地の園で(会いましょう)。」と(書き添えて)ある。右馬の助(=上達部のおおむこ)がこれをご覧になって、「これはたいそう珍しい、変わった手紙だなあ。」と思って、「何とかしてこの姫君を見たいものだ。」と思って、(友人の)中将と相談して、身分の低い女たちの姿に変装して、按察使の大納言が外出しておられる時に、(その邸に)いらっしゃって、姫君の住んでいらっしゃる建物の、北向きのへやの立蔀のそばでご覧になると、別に変わったところもない男の召使いが、草や木のそばにぶらぶら歩いて、そこで言うには、「この木に毛虫が一面についてたくさん歩いているなあ。たいへんかわいらしいものだな。」と言って、「これをご覧になって下さい。」と言って、へやのすだれを引きあげて、「たいそうおもしろい毛虫がおりますよ。」と言うと、姫君は、活発な声で「たいそう興味のあることだね。こっちへ持っておいで。」とおっしゃると、「取り分けられそうな状態でもありません。じかにこの場所(=木のそば)でご覧になって下さい。」と言うと、姫君は荒々しく床を踏んで(縁のほうへ)出てくる。すだれを外のほうへ押しふくらませて、目を大きく開いて枝をご覧になるのを(右馬の助が見ると)、衣を頭にかぶるように引きあげて着て、髪も下がりぎわは美しいようなのだが、くしを入れて手入れをしないからだろうか、ばさばさしているように見えるのだが、眉は黒々として、派手ではっきりしており、さわやかに見えている。口もとも愛敬があって清潔な感じだが、お歯黒をつけないから、まったく世間並みでない。これで化粧をしたらきっときれいになるだろう。残念なことであるなあ、と思われる。これほどまで身なりをかまわないけれど、みにくくなんかなくて、たいそう人並みすぐれていて、目立つ容貌で気品があり、晴れ晴れとしているようすは、惜しいことである。練色の綾織りのうちぎを一重ねに、きりぎりすの模様を織り出した小うちぎを一重ね着て、白いはかまを好んではいていらっしゃる。この毛虫をもっとよく見ようと思って、すだれの外に身を乗り出して、「まあ見事なこと。虫は日にやかれるのが苦しいものだから、こっちのほうへ来るのだったのね。これを一ぴきも残さず追ってこっちへお寄こし、おまえたち。」とおっしゃるので、召使いが虫を突き落とす、と虫はぱらぱらと落ちる。白い扇だが、墨でまっ黒になるまで漢字の練習をしたのを差し出して、「虫を拾ってこれに乗せなさい。」とおっしゃるので、召使いが虫を取って差し出す。(見ている)君達がたもみなあきて果てて、「(こんな一風変わった姫君が生まれて)災難のある家であるのに、(姫君の容姿はまた)この上なくすぐれていることよ。」と思って、この姫君のことを考えて、たいそうなものだ、と右馬の助はご覧になる。

【語句】
おぼつかなし・・・待ち遠しい。じれったい。
さかし・・・気丈な。しっかりした。活発な。





虫めづる姫君~わらはの立てる、あやしと見て~

【冒頭部】
わらはの立てる、あやしと見て、「かの立蔀の

【現代語訳】
(庭に)立っている召使いが(右馬の助たちを)怪しいと見て、「あの立蔀の近くに添って、美しい男で、とはいっても姿かっこうの変な男が、こっちをのぞいて立っていますよ。」と言うと、この大夫の君という侍女が「まあ、たいへん。姫君には、いつものように、虫を相手にお遊びなさるというので、外からまる見えになっていらっしゃるのでしょう。(見る人があると)お知らせ申しあげましょう。」といって参上すると、(姫君は)いつものように、すだれの外にいらっしゃって、大騒ぎをして(召使いたちに)毛虫を払い落とさせていらっしゃる。(大夫の君は)毛虫がこわくてしょうがないので、近くには寄らないで、「おはいりなさい。端は外からまる見えです。」と(召使いに姫君へ)申しあげさせると、姫君は、自分が毛虫で遊んでいるのを止めさせようと思って言うのだと判断して、「人に見られることがあってもかまわない。恥ずかしくはない。」とおっしゃるので、「まあ情ない。(私の言うことが)うそだとお思いなんですか。その立蔀のそばに、たいそうりっぱな方がいらっしゃるようですよ。(毛虫は)奥でご覧なさいよ。」と言うと、姫君は「けらお、あそこに出て見ておいで。」とおっしゃると、けらおは走って行って、「ほんとうにいるのでしたよ。」と申すと、姫君は走って行き、毛虫は拾って袖に入れて、へやに走りこんでおしまいになった。姫は、背たけもちょうどよいぐらいで、髪もうちぎぐらいの長さで、たいそう豊かである。髪の先も切りそろえないから、ふさふさはしていないが、毛は整っていて、かえってこのほうが美しいようである。「これほどの美人でない人でも、世間によくあるように、人品をとりつくろっていれば、見苦しくはないものだ。この姫君は、(身づくろいしないので)まったくいやになるのが当然な状態なのだけれど、実はたいそう美しく気品があって、(しかも、虫を好むという)厄介な病気のある点が他と違っているはずなのだ。ああ残念なことだ。どうしてこうひどく気味悪い心を持っているのだろう。これほど美しい容姿なのに。」と、右馬の助はお思いになる。

【語句】

ひとざま・・・人品。人がら。
けはひ・・・様子。ありさま。
もてつく・・・備える。身につける。
わづらはし・・・気のおける。厄介な。





虫めづる姫君~むまのすけ、「ただ帰らむは、~

【冒頭部】
むまのすけ、「ただ帰らむはいとさうざうし

【現代語訳】
右馬の助は、「何もしないで帰るのは、たいへん物足りない。せめて、(姫君を)見ましたよ、ということだけでも知らせよう。」というので、懐紙に草の汁で、
かはむしの・・・(私は、毛虫の毛深いようすを見た時から、この毛虫を手に取ってよく見たいと思うようになりましたよ。《眉など》毛虫のように毛深い《=趣深い》あなたを見て以来、妻として迎え取ってお世話したいと思いますよ)と書いて、扇で手をたたき(人を呼び)なさると、召使いが出て来た。「これを姫君にさしあげなさい。」と言って、懐紙を受けとらせると、召使いが、(大夫の君に)「向こうに立っていらっしゃる、この(手紙を書いた)方が、姫君にさしあげよ、といって(渡されました。)」と言うので、大夫の君という人が受け取って、「まあ、たいへん、これは右馬の助のしわざに違いない。いやらしい虫をまあ面白がっていらっしゃった姫君のお顔を、右馬の助はご覧になったのだろうよ。」といって、姫君にいろいろと(忠告を)申しあげると、姫君のお答えなさることは「私は悟ってしまっているから、何も恥ずかしいことはない。人間、この夢まぼろしのようなはかない人生に、だれがいつまでも長らえて悪い事を見たり、善いことを見、また思ったりするものだろうか。」とおっしゃるので、何を言ってもはじまらず、若い侍女たちはめいめいに情ながった。右馬の助や中将は、「返事はあるだろうか。」と思ってしばらくそこに立っていらっしゃったけれど、(侍女たちは)召使いたちもすべて邸内に呼び入れて、たがいに「つらいわねえ。」と言いあっていた。(しかし)そこにいる人たちの中には(返事をすべきだと)気づいた人もあるのであろう。(返事を待たせておくのは)やはり気の毒だ、といって、
人に似ぬ・・・(世間一般の人と違っている私の心の中は、毛虫の名を問うように、あなたの名をたずねてから、申しあげたいと思います)と返事をしてやった。右馬の助は、
かはむしに・・・(毛虫と見まちがえるような《あなた》の毛深い眉の毛の端にさえも相当するような女性《あなたほど気の深い人》は他にいませんよ)と言って、笑って帰ってしまったようだ。その後の経過は次の巻にあるでしょう。

【語句】
さうざうし・・・物足りない。つまらない。
まぎる・・・見まちがえる。
あたる・・・匹敵する。肩を並べる。





貝あはせ~長月の有明の月にさそはれて~

【冒頭部】
長月の有明の月にさそはれて、蔵人の少将

【現代語訳】
九月の有明の月(の美しさ)にさそわれて、蔵人の少将は、指貫のすそを(忍び歩きに)ふさわしく引き上げて、ただひとり小舎人童だけを連れて、明るくなってもそのまま朝霧がたちこめて姿を隠してくれそうなほど一面切れ目のない中を、「趣のある家で(忍びこめる戸の)あいている所でもないかなあ。」と言って歩いて行くと、木立の風情のある家に事の音がほのかに聞こえるので、たいへんうれしくなって(その座敷の周りを)回ってみる。門のわきなどに崩れた所があるかと見たけれども、とてもとても築地などは完全なもので、(入れないとなると)かえってがっかりして、どんな人がこのように弾いているのだろう、とむしょうに興味が持たれるが、どうしようもなくていつものように声を出させて随身に歌わせなさる。
ゆくかたも・・・=行く先も忘れるほどに、夜明けごろの私の足を引きとめるような琴の音だなあ。
と歌わせて、本当にしばらく、中から人が(出てくるか)とわくわくしていらっしゃったが、そうはならないのが残念で、行く過ぎかけると、たいそうかわいらしい少女が四、五人ばかり走りちがい、小舎人童や(下使いの)男などが、趣のある小破子のようなものを捧げ持ったり、(物の板などにつけた外見)趣のある手紙を袖の上にのせたりして出入りする家がある。何をするのだろうと知りたくて、人目のない時をねらってそっと入りこんで、ひどく繁った薄の中に立っていると、八、九歳ほどの女の子で、たいそうかわいらしい子で、薄紫の下着に紅梅色の上着などいろいろ着た女の子が、小さな貝を瑠璃の壺に入れて向こうから走って来る様子のあわただしげな様子を、かわいいとご覧になっている時に、直衣の袖を見て「ここに人がいます。」と無邪気に言うので困ってしまって「しっ、静かに。お話しなければならないことがあってたいそうこっそりやって来た人ですよ。」と言い、「(そば)へいらっしゃい。」と言うと、「明日のことを思いますと、今から暇がなくてそわそわしているんですよ。」と早口にしゃべりかけて、行ってしまいそうに見えるようだ。

【語句】
なかなか・・・かえって。
そそき・・・そわそわする。落ち着きがない。
例の・・・いつものように。









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